ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 1.7 正知とは
प्रत्यक्षानुमानागमाः प्रमाणानि॥७॥
pratyakṣa-anumāna-āgamāḥ pramāṇāni ॥7॥
(読み)プラティヤクシャーヌマーナーガマーハ プラマーナーニ
(訳)正知の根拠となるものは、直接的(現実的)な知覚・推論(演繹)・聖典の記述である。
[SS]: The sources of right knowledge are direct perception, inference and scriptural testimony.
[SS訳]: 正知の根拠となるものは、直接的な知覚・推論・聖典の記述である。
[SV]: Direct perception, inference, and competent evidence are proofs.
[SV訳]: 直接的な知覚・推論・適格な証拠が、(正知の)根拠となる。
Sutra 1.8 誤解とは
विपर्ययो मिथ्याज्ञानमतद्रूपप्रतिष्ठम्॥८॥
viparyayo mithyā-jñānam-atadrūpa pratiṣṭham ॥8॥
(読み)ヴィパリヤーヨ ミティヤーンニャーナム アタドルーパプラティシュタム
(訳)誤解は、その知識が正しい根拠に基づいていないときに起こる。
[SS]: Misconception occurs when knowledge of something is not based upon its true form.
[SS訳]: 誤解は、知識の根拠としているものがその真の形をとっていないときに起こる。
[SV]: Indiscrimination is false knowledge not established in real nature.
[SV訳]: 無分別とは、真の自然界の法則に基づいていない「偽りの知」である。
解説・考察
1.7節と1.8節は、裏表で同じようなことを説明しています。
知が正しいかどうかは、その根拠が正しいかどうかということです。
正しい根拠となるものは、
- 直接的(現実的)な知覚
- 推論(演繹)
- 聖典の記述
であると示されています。
英訳を直訳してもちょっとわかりにくかったので、サンスクリット語を調べてみました。
pratyakṣaの意味は、
- direct 直接
- explicit 明示的
- real 現実の
- self-evident 自明の
- perceptible 知覚できる
「明らかな」「リアルな」といったニュアンスの言葉のようなので、妄想や幻覚ではなくリアルな感覚で得られたもの、というように捉えると良いかと思います。
anumānaの意味は、
- inference 推論
- deduction 演繹
- consent 同意
- conclusion 結論
「推論」とだけ日本語で言うと、なんだかテキトーな感じに思えてしまいますが、正しい根拠を元に(演繹法により)導き出された推論、と捉えると良いかと思います。
āgamāの意味は、おおよそ英訳の通りで、「長年伝えられてきた知識」といった意味合いです。仏教用語にも同じ言葉があり、ガンダムの戦艦の名前にも出てきますね、アーガマ。
長い歴史の中で伝えられてきた聖典は、いろいろな人々が試行錯誤した末に正しいと思ったことが書かれているはずです。正しくないことは、省かれたり書き換えられたりしていくはずですね。
世界にいろいろな聖典が存在するのは、人々はそれぞれ文化的背景などが異なるので、伝え方を少しアレンジする必要があったからです。
人それぞれに合った形で伝えられる必要はあるけれど、結局はどの聖典も同じ真理を語っている、という考え方の元で、インドのシヴァナンダヨガを学ぶ場所では、聖書やコーランなども一緒に置かれています。
≫ヨーガスートラ解説 1.9-1.11
≪ヨーガスートラ解説 1.5-1.6