ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 2.35 アヒンサー(非暴力)
अहिंसाप्रतिष्ठायां तत्सन्निधौ वैरत्यागः॥३५॥
ahiṁsā-pratiṣṭhāyaṁ tat-sannidhau vairatyāghaḥ ॥35॥
(読み)アヒンサー プラティシュターヤン タッサンニダウ ヴァイラティヤーガハ
(訳)アヒンサー(非暴力)に徹した者のそばでは、全ての敵意が止む。
[SS]: In the presence of one firmly established in non-violence, all hostilities cease.
[SS訳]: 非暴力に徹した者のそばでは、全ての敵意が止む。
[SV]: Non-killing being established, in his presence all emnities cease (in others).
[SV訳]: 非殺生が確立されたとき、彼のそばでは他者からの全ての敵意が止む。
Sutra 2.36 サティヤ(誠実)
सत्यप्रतिष्ठायां क्रियाफलाश्रयत्वम्॥३६॥
satya-pratiṣthāyaṁ kriyā-phala-āśrayatvam ॥36॥
(読み)サティヤ プラティシュターヤン クリヤー パラーシュラヤトヴァン
(訳)サティヤ(誠実)に徹した者には、行為に対して自然な結果が従う。
[SS]: To one established in truthfulness, actions and their results become subservient.
[SS訳]: 誠実に徹した者には、行為に対して結果が従う。
[SV]: By the establishment of truthfulness the Yogi gets the power of attaining for himself and others the fruits of work without the works.
[SV訳]: 誠実を確立させることによって、ヨーギは彼自身と他者に、行為を行うことなく結果がもたらされる力を得る。
Sutra 2.37 アステーヤ(不盗)
अस्तेयप्रतिष्ठायां सर्वरत्नोपस्थानम्॥३७॥
asteya-pratiṣṭhāyāṁ sarvaratn-opasthānam ॥37॥
(読み)アステーヤ プラティシュターヤン サルヴァラッノーパスターナン
(訳)アステーヤ(不盗)に徹した者には、全ての富が集まる。
[SS]: To one established in non-stealing, all wealth comes.
[SS訳]: 不盗に徹した者には、全ての富が集まる。
[SV]: By the establishment of non-stealing all wealth comes to the Yogi.
[SV訳]: 不盗に徹することで、そのヨーギには全ての富が集まる。
Sutra 2.38 ブラフマチャリヤ(自制・梵行)
ब्रह्मचर्यप्रतिष्ठायां वीर्यलाभः॥३८॥
brahma-carya pratiṣṭhāyāṁ vīrya-lābhaḥ ॥38॥
(読み)ブランマチャリヤ プラティシュターヤン ヴィリヤラーバハ
(訳)ブラフマチャリヤ(自制)に徹することで、活力が得られる。
[SS]: By one established in continence, vigor is gained.
[SS訳]: 自制に徹した者は、精力を得る。
[SV]: By the establishment of continence energy is gained.
[SV訳]: 自制に徹することで、活力が得られる。
Sutra 2.39 アパリグラハ(不貪)
अपरिग्रहस्थैर्ये जन्मकथंतासंबोधः॥३९॥
aparigraha-sthairye janma-kathaṁtā saṁbodhaḥ ॥39॥
(読み)アパリグラハ スタイリェ ジャンマカタンターサンボーダハ
(訳)アパリグラハ(不貪)に徹したとき、自分がどのように・なぜ生まれたのか(物事の因果関係)という根本的な知を得る。
[SS]: When non-greed is confirmed, a thorough illumination of the how and why of one’s birth comes.
[SS訳]: 不貪に徹したとき、自分がどのように・なぜ生まれたのかという根本的な知が得られる。
[SV]: When he is fixed in non-receiving he gets the memory of past life.
[SV訳]: 不貪に徹したとき、彼は過去世の記憶を得る。
解説・考察
アシュターンガヨーガ(8支則のヨーガ)の第1支則「ヤマ」の5項目の説明がこれらの節で示されています。
「ヤマ」自体の訳としては、「禁戒」というのが一番一般的であると思いますが、インドの先生はsocial code(社会的規範)としていました。
なぜ社会的規範であるかというと、ひとつ前の2.34節で示されたように、「他者がこれらの悪行を行うのを動機付けたり容認したりすることもまた、自分に苦痛として返ってくる」ということからも分かります。
以前の記事でも一度まとめましたが、ヤマは全体を通して「執着を捨てることで、望むものは向こうからやってくる」ということを示しているように思えます。
2.39節で示されるアパリグラハ(不貪)の効果について、「過去世を知ることができる」という、ヨーガスートラに出てくる数々の「超能力」のひとつとして捉え、そういった魅力的な超能力にも執着しないように、とまとめることもできますが、少しこれまでの文脈を踏まえて掘り下げてみます。
これまで述べられてきたようにヨーガスートラが目指しているところは解脱であり、来世で再生しないことを目的とするならば、なぜ今世に生まれてしまったのかという根因が明らかになると、解脱につながる知が得られるということになります。
これによって、今世ではしっかり徳を積む(カルマを重ねない)ような生き方をしよう、とすることができます。
そして具体的な生き方として、次に続いていくニヤマ(勧戒・個人的規範)につながっていきます。
そう考えるとアパリグラハは、ヤマの最後を飾るにふさわしい重要な項目であるように思えます。
≫ヨーガスートラ解説 2.40-2.45
≪ヨーガスートラ解説 2.33-2.34