ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 2.33 否定的な思考を打ち消すには
वितर्कबाधने प्रतिपक्षभावनम्॥३३॥
vitarka-bādhane pratipakṣa-bhāvanam ॥33॥
(読み)ヴィタルカ バーダネ プラティパクシャ バーヴァナン
(訳)否定的な思考によって心が波立つときは、反対の(肯定的な)思考を用いて打ち消す。これがプラティパクシャ・バーヴァナである。
[SS]: When disturbed by negative thoughts, opposite [positive] ones should be thought of. This is pratipaksha bhavana.
[SS訳]: 否定的な思考によって妨害されたときは、反対の(肯定的な)思考を想起するべきである。これがプラティパクシャ・バーヴァナである。
[SV]: To obstruct thoughts which are inimical to Yoga contrary thoughts will be brought.
[SV訳]: ヨーガの道を妨げる思考を抑止するには、反対の思考を用いる。
Sutra 2.34 全ては必ず自分に返ってくる
वितर्का हिंसादयः कृतकारितानुमोदिता लोभक्रोधमोहपूर्वका मृदुमध्याधिमात्रा दुःखाज्ञानानन्तफला इति प्रतिपक्षभावनम्॥३४॥
vitarkā hiṁsādayaḥ kr̥ta-kārita-anumoditā lobha-krodha-moha-āpūrvakā mr̥du-madhya adhimātrā duḥkha-ajñāna-ananta-phalā iti pratipakṣa-bhāvanam ॥34॥
(読み)ヴィタルカーヒンサーダヤハ クルタカーリターヌモーディター ローバ クロダ モーハープーヴァカー ムルドゥ マディヤーディマートラー ドゥッカーンニャーナンタ パラーイティ プラティパクシャ バーヴァナン
(訳)暴力などのような否定的な行為をもたらす思考が生まれたとき、あるいは他者のそれを認めただけのときであっても、欲望・怒り・迷妄などいかなる原因によって引き起こされたものでも、穏やか・中位・激しいなどいかなる状態であっても、それらは無知によって生まれ、無知がある限り終わらない苦痛をもたらす。それらによってどのようなこと(反作用)が起こるのかを熟考することもまた、プラティパクシャ・バーヴァナである。
[SS]: When negative thoughts of acts such as violence, etc. are caused to be done or even approved of, whether incited by greed, anger or infatuation, whether indulged in with mild, medium or extreme intensity, they are based on ignorance and bring certain pain. Reflecting thus is also pratipaksha bhavana.
[SS訳]: 暴力などのような否定的な行為をもたらす思考が生まれたとき、あるいはそれが認められただけのときであっても、欲望・怒り・迷妄などいかなる原因によって引き起こされたものでも、穏やか・中位・激しいなどいかなる状態であっても、それらは無知によって生まれるものであり、確実に苦痛をもたらす。それらを熟考することもまた、プラティパクシャ・バーヴァナである。
[SV]: The obstructions to Yoga are killing etc., whether committed, caused, or approved; either through avarice, or anger, or ignorance; whether slight, middling, or great, and result is innumerable ignorances and miseries. This is (the method of) thinking the contrary.
[SV訳]: ヨーガの道を遮るものは、殺生など(それを自身が行ったか・他者に動機づけたか・他者のそれを認めただけかに関わらず)(強欲・怒り・無知、いずれに基づいているかに関わらず)(わずかであるか・中位であるか・重大であるかに関わらず)であり、その結果はおびただしい無知や悲惨である。これ(それらを熟考すること)が反対の思考を行うという方法である。
解説・考察
「憎悪に対しては、愛をもって打ち消す」というように反対の思考を用いて否定的な感情を打ち消すテクニックが、「プラティパクシャ・バーヴァナ」という名前で説明されています。
この後に続く節で、ヤマ(禁戒)の5つが説明されていますが、それらで禁じられる行為がどのような結果(反作用)をもたらすのかを熟考することもまた、「プラティパクシャ・バーヴァナ」であると言われます。
ヤマの5項目は以下の通りです。
- 非暴力→苦痛をうまない
- 誠実→嘘をつかない
- 不盗→盗まない
- 自制→節度を超えない
- 不貪→必要以上に所有しない
2.34節では、これらの行為が以下のどのような関わり方で行われたとしても、必ず自分に苦痛がもたらされると示します。
- 自分で行われたとき
- 他者に動機付けたとき
- 他者がこれらの行為をするのを認めたとき
そして、以下の3ついずれに基づいているかに関わらず
- 強欲
- 怒り
- 迷妄
そして、どのような程度であるかに関わらず
- 穏やか
- 中位
- 激しい
他者によって行われたとしても、他者のそれを認めただけだとしても、いつかは自分に返ってくるというのは、資本主義社会において見落とされがちな真理であると思います。
因果応報、世界はいろいろな形でつながっているのですから、今は自分に関係ないと思われることでも、悪行を認めていればいつかは自分に影響が出てくるでしょう。
世界が小さな村のような社会だとしたら、悪者をほっとかないということは、自然に行われているはずですね。社会に人が増えても、ちょっと影響が出るのが遅くなるだけで、その原理は変わらないと思います。
≫ヨーガスートラ解説 2.35-2.39
≪ヨーガスートラ解説 2.28-2.32