部分と全体
解剖学や微細身などについていろいろ書いてきましたが、人間は個別の筋肉や骨だけで動いているのではなく、全てが一体になって活動しています。
そのため、どこかの「部分」だけに意識を集中するということは、それ以外の部分がおろそかになってしまい、正常な活動とはならなくなってしまいます。
なので、筋肉や骨に関する知識は、「そういうパーツを持っている」という認識として役立てて、その認識を持った上で、体全体を意識するようにしましょう。
そういう意味では、微細身について知っておくことも重要なのだと思います。
人間は肉体だけで活動しているのではなく、それを取り巻く気の体などが一体となって個体を成しているとイメージしてみましょう。
その体は、心や感情の働きを瞬時に反映して、それは肉体にも確実に影響を与えます。
もし微細身というものがピンとこなかったとしたら、まずは心と体、だけでも意識してみると良いと思います。
心と体、全体を観る
心だけではなく、体だけではなく、全体を意識する。
さらに意識を拡大して、周りの世界、地球全体、宇宙、というところまで意識できるようにすると、自分がなにをするべきかということについて、高い次元から考えられるようになっていきます。
「全体」の中で、「部分」はそれぞれに適した役割を演じます。
自分の役割に気づき、見失わないように
SNSで他人をうらやましがったり、見栄の張り合いをする必要もないのです。
腸腰筋が大胸筋をうらやましがったり、腎臓が心臓のように働きたいと思ったりしたら、どうでしょうか。
役割から外れたことをすれば、全体に歪みが生まれ、結果としてその部分自体も壊れてしまうでしょう。
自分という「部分」だけ意識していては、幸せにはなれないのです。
自分だけではなく、まずは身近な人々との一体感を意識してみましょう。そうすれば人の行動は変わってくるはずです。
ただ、これもなかなか難しいことです。
分離と連携、そして楽しむ
そのため、必要であれば、一体感の前に、「徹底的な分離」を試みます。その後に、「徹底的な連携」をイメージします。
先に述べた解剖学を体全体へ生かす流れのように、まず「部分」としての自分をしっかりと認識する。
社会に巻き込まれない、どんなことがあっても揺るがない心、寒暖やウイルスにも負けない安定して健康な体、確固たる自分を認識するのです。一般的なヨガでやっているのはこういった試みのひとつです。
巻き込まれないように分離することで、全体をありのままに観られるようになります。
社会のしがらみを断ち切ったら、いろいろ見えてきた、という経験を得た人も多いことでしょう。
そうやって気づいた人々は、山にこもって俗世との関係を断って一生を終えるのではなく(一時、そのようになるかもしれませんが)、むしろ楽しく社会の中で役割を果たしながら、自然に生きています。
揺るがない心身をつくった上で、世界に溶け込み、役割に気づき、楽しんで演じる。
「自分だけ」「自分の家族だけ」「自分の会社だけ」「自分の国だけ」「自分の民族だけ」「自分の星だけ」…といった部分意識から次々抜け出していければ、世界は変わっていくかもしれませんね。