ハタヨーガの重要な教典の中でもたくさんの技法が載っている、ゲーランダサンヒターを読んでいきます。
今回は、第6章のディヤーナ・ヨーガについて書かれている部分を紹介します。
下記引用部分は、特に記載のない限り「ヨーガ根本教典 (続) /佐保田鶴治」を出典とします。
この記事の目次
ディヤーナの位置づけ
ディヤーナは、ヨーガスートラのアシュターンガヨーガ(8支則)においては7段階目にあり、第6段階のダーラナー(集中・凝念)が絶え間なく努力なく連続した状態を表します。中国で「禅那」と音訳され、「禅」の元になった言葉です。日本ではディヤーナをすなわち「瞑想」であると捉えたり、あるいは「静慮」などと訳されます。
ゲーランダサンヒターのサプターンガヨーガにおいてはダーラナーとディヤーナが分かれておらず、プラーナーヤーマの後にディヤーナが来ます。
ここでは様々な対象に向かって集中をする方法が述べられており、結果的にアートマン(真我)を直観するに至るとされています。最終的なゴールはヨーガスートラと同じサマーディではありますが、方法としてはハタヨーガ特有のチャクラやクンダリニーを用いたものが出てきます。
ディヤーナの種類
6.1 ディアーナには(1)粗大なディアーナ、(2)光明のディアーナ、(3)微細なディアーナの三種があると知られている。
有形のもの(例えばグルや神々)を観想するのは粗大なディアーナとよばれ、光明から成るもの(例えば梵やプラクリティ)を観想するのは光明のディアーナとよばれ、ビンドゥ(象徴的な音または文字)から成るもの(例えば梵またはクンダリニー)を観想するのは微細なディアーナとよばれる。
ゲーランダサンヒターのディヤーナでは、特定の対象に集中するというよりはイメージを明確に描く(観想する)という方法が多く用いられます。
その対象の種類によって、(1)粗大(2)光明(3)微細という三種類に分けて説明されます。
粗大なディヤーナ
6.2 自分の内なる心臓のなかに至上の甘露海を観想すべし。
その大海のまん中に宝石の島があって、高貴な宝石の砂からできている。6.5 この花園の中央には魅惑的なカルパ樹があるとヨーギーは想像すべし。この樹には四本の枝がある。これは四ヴェーダであって、常に花と実がついている。
まずはとても具体的な情景を観想する方法が示されます。楽園のような海と島に関する細かい説明がなされ、それを頭の中に明確にイメージしていきます。
その中には、インドの宗教の元となった四ヴェーダを表す描写もあり、ハタヨーガはヴェーダの系統をくんでいるということを示しているようです。ハタヨーガは、ヴェーダーンタ(ウパニシャッド)の不二一元論を元にしていると言われています。ヴェーダを表す枝には常に花と実がついていて、ヴェーダの教えは古来から常にヨーガの実践者に知をもたらしてくれているるということを表しているように思えます。
6.9 千の蓮弁のある大蓮華の花心の上に十二の花弁をもつ可憐な小蓮華がついていると観想すべし。
6.10 その小蓮華は白色で、高度に輝き、十二のビージァ(種字)がちりばめてある。それらビージァはハ、サ、クシァ、マ、ラ、ヴァ、ラ、ユーム、ハ、サ、カハ、プレームの順に並んでいる。
6.11 この小蓮華の花心の上にア、カ、タ等の三本の線から成る三角形があり、その角はハ、ラ、クシァとよばれる。この三角の中央にプラナヴァ(聖音オーム)が鎮座する。
粗大なディヤーナの中のもう一つのやり方として、こちらは比較的現実の光景というよりは神秘的な蓮華の姿をイメージするものです。
チャクラを描き表す時などによく蓮華が用いられその花弁にはよく種字が割り当てられています。様々なビージャマントラが散りばめられている中心に、最も重要である聖音オームがあるという形を観想せよと説かれます。
光明のディヤーナ
6.16 ムーラーダーラの部位に蛇の姿をしたクンダリニーがいられる。そこにジーヴァートマン(生命主体)は灯明の炎のような姿で立っている。これを光明体なる梵として観想すべし。
ムーラーダーラは尾骨の先端あるいは骨盤底などの場所に定義されるチャクラで、そこにクンダリニーが眠っていると考えるのがハタヨーガの中心的な概念です。これを宇宙意識であるブラフマンを表す灯明の炎として観想するという方法が説明されます。
6.17 眉間の中央、マナスの上に聖音オームより成る光がある。この炎を観想すべし。これが光明観想である。
また別のやり方も示されています。こちらはとてもシンプルで、眉間の中央(アージュニャーチャクラ)に聖音オームから成る光を観想するというやり方です。これらのやり方を比較すると、すべての元となった「梵(ブラフマン)」を表す同義語や、チャクラ同士の関係性などが見えてきます。ムーラーダーラとアージュニャーは関係が深く、一方が目覚めれば他方も目覚めるとする考え方もあります。そしてオームはブラフマンを表すということも示されます。
微細なディヤーナ
6.18-19 チァンダよ、汝は光明のディアーナを学び終わった。次に微細なディアーナについて説こう。
大きな幸運の力で行者のクンダリーが目覚めるに至った時、クンダリーは行者のアートマン(真我)と結んで眼の穴から出て、王道を散歩する。ただし、動きの速いために眼には見えない。6.20 ヨーギーはシァーンバヴィー・ムドラーなるディアーナ・ヨーガによってこの行を達成することができる。
この微細なるディアーナは秘法であって、神々といえども容易に得難いものである。
ヨーガの行は粗大なものから微細なものへと意識を向けていきます。粗大な肉体から始まり、目に見えない微細なものへと対象を移していきます。
最も微細なものに対するディヤーナとして示されているやり方は、言葉だけではほとんど具体的に表されていません。クンダリニーが目覚めて活動を始める様子が描かれていて、方法としてはシャーンバヴィー・ムドラーを行うべしということだけ書かれています。
シャーンバヴィー・ムドラーのやり方はムドラーの章で紹介されましたが、眉間を凝視するムドラーです。ハタヨーガプラディーピカーでは第4章で別格な形で示されています。
参考:ゲーランダサンヒターにおけるシャーンバヴィー・ムドラー
参考:ハタヨーガプラディーピカーにおけるシャーンバヴィー・ムドラー
シャーンバヴィー・ムドラーは第3の眼を開くための行としても用いられ、それによって肉眼では見えない微細身が見えるようになると言われます。
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