「KUNDALINI TANTRA(クンダリニー・タントラ)/Swami Satyananda Saraswati(スワミ・サティヤナンダ・サラスワティ)著」を読み進めていく形で、クンダリーニヨガ(クンダリニーヨーガ)の概要を紹介していきます。
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今回は、序章の冒頭部分からです。
(引用部分の太字強調は私が個人的に重要と思ったところを示したものです。)
クンダリーニヨガの研究については、以下のページにまとめてあります。
用語:クンダリニー(クンダリーニ)・チャクラ・ナディ(ナーディー)
「ヨガとは何か?」に関する様々な解釈
Initially of course, there was some doubt about it as many people thought that yoga was a type of religion, witchcraft or mysticism.
日本でも「ヨガ」に対する捉え方は様々です。
ストレッチ体操だと思っている人もいれば、アクロバットのようなポーズをしたり、難しいポーズができるようになるのを競い合うスポーツだと思っている人もいるかもしれませんし、瞑想するもの、呼吸法をするもの、宗教っぽいもの、など色々な異なる印象があることでしょう。
私も元々は、ヨガの主な要素は体を効果的に使うためのポーズを練習することだと思っていたのですが、実践を重ね、ヨガを教える人々とも話したり、初めてレッスンを受けに来る方に「ヨガ」の印象を聞いたりしているうちに、「ヨガとは何か?」をもっと調べてみる必要があると感じました。
なるべく思い込みを捨てて、いろいろな種類のヨガやその歴史、関連する宗教なども調べてきました。過去の記事でもそのテーマについてたくさん書いてきました。
サティヤナンダ氏も、世界中でヨガを教えていく中で、様々なヨガへの誤解に直面したようです。宗教の一種、魔術、神秘主義など、各文化圏において様々な解釈をされたことでしょう。
ここでは、ヨガを正しく理解するには「物質世界がすべてではない」ということを理解する必要があると述べられています。
物質世界がすべてではない
The materialistic world did not understand yoga for some time, but as the men of science dived deep into the mysteries of matter, they came to understand and realize that matter was not the ultimate in the evolution of nature.
「matter(物質)」が自然の進化のたどり着くところであると思いこんでいると、ヨガを正しく理解できないといいます。
クンダリニー・タントラでは、「物質以外のもの」も含めた世界を真剣に扱っていくことになります。
This external experience, the perception you have through your senses, is a product of matter. Even your thoughts, feelings, emotions and cognitions are products of matter.
ヨーガでは「external experience(外的経験)」と「inner experience(内的経験)」を定義することがよくあります。
ヨーガスートラで示されるアシュタンガヨーガ(8支則のヨーガ)でも、前半の5支を外的経験、後半の3支を内的経験として区別します。
その3支でさえも、ヨーガスートラのゴールである無種子三昧に比べれば「外的」であるとされます。
参考:ヨーガスートラ解説 3.5-3.8 〜サンヤマ(綜制)〜
クンダリニー・タントラでは「外的経験」は物質からもたらされる知覚であるとしていますが、ここで「物質」に関して誤解していると、ここからの理解を間違えることになります。ここで扱う「物質」は、一般的に「見えないもの」「触れないもの」も含んでいます。
「心」さえも「物質」である
The mind is also matter; it is definitely not spirit. So the mind can also be transformed and made to evolve.
「mind(心)」もまた、「物質」であり、それは「spirit(霊)」とは全く異なるものであると定義しています。
つまり「心が経験すること」は「外的経験」であり、それ以外の「内的経験」がある、としています。
それはつまり、我々が今感じている「心」の限界を超えて、「心」を進化させていくことができる可能性を示唆しているといいます。
Yoga realizes that man is not only the mind, he is body as well. Therefore man does not experience happiness only through the mind. The body is also real and it is a part of his personality.
我々は「肉体」や「心」が自分自身だと思いこんでいることが多いですが、「肉体」も「心」も外的経験のための道具であり、それを監督している「霊」のような意識があるということを示しています。
それら様々な次元の「私」を含めて「personality」と呼んでいます。神智学などでは、霊などの高次の「私」を「indivisuality」として、心や肉体などの低次の「私」を「personality」と定義することもあります。高・低で表現することが多いですが、高次が重要とか低次がダメとかいうわけではありません。上のある如く下もかくあり、逆も然り。
このような考え方は、ヨーガやその他多くの宗教哲学の基本になっています。いきなりこの考え方を理解するのは難しいという人も多いかもしれません。
自分自身でないものを自分自身であると錯覚する「無知」が、すべての煩悩・雑念の元になっているとヨーガスートラは示しています。
参考:ヨーガスートラ解説 2.4-2.9 〜「無知」から生まれる諸煩悩〜
しっかり気づきを磨いていかなければ、物質世界に、そして「肉体」や「心」に執着してしまい、それらを客観的に観て改善・進化させていくことは難しいでしょう。
様々なヨーガの道、そしてクンダリニーヨーガ
Therefore, yoga has been designed in such a way that it can complete the process of evolution of the personality in every possible direction. That is why yoga has so many branches – hatha yoga, karma yoga, bhakti yoga, raja yoga, gyana yoga, kundalini yoga, and so on.
ヨーガは、人それぞれのパーソナリティ(心や肉体)の状態に応じて、それを磨いていくために、ハタヨーガやラージャヨーガなど様々な道を用意してくれています。
私もヨガをお教えするときは、人それぞれ気づきの度合いに応じて、方法や表現を変えるなどしています。「ヨガ」と一言で言っても、本当に様々なやり方があります。
One level of the personality is dependent on this mind, this body and these emotions, but there is another deeper part of the personality which you have to develop with another kind of mind and emotion. This requires a special process, and that process is known as kundalini yoga.
ヨーガは、心や肉体を磨くだけではなく、より「深い」部分のパーソナリティを磨いていくこともできるといいます。
それには特別なプロセスが必要であり、それがこれから示されていく「クンダリニーヨーガ」である、としています。
このように、外的経験・内的経験、心・霊などの区別をしながら話を進めていくことになりますが、では外的経験は雑念を生み出す「悪」なのかというと、グノーシスのように霊肉二元論があったり宗教哲学によって様々な考え方があります。
まずは良い悪いという二元性から離れて、ありのままに、いくつもの次元の自分がいて、いくつもの次元の経験をしているということに気づき、それらがいまどんな状態なのかという気づきを磨いていくと良いでしょう。
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参考文献
「Kundalini Tantra 英語版 ペーパーバック」 Swami Satyananda Saraswati (著)
「Kundalini Tantra 英語版 Kindle」 Swami Satyananda Saraswati (著)