ハタヨーガの重要な教典の中でもたくさんの技法が載っている、ゲーランダサンヒターを読んでいきます。
今回は、ムドラーの章の中でシャクティチャーラニー・ムドラー、ターダーギー・ムドラー、マーンドゥーキー・ムドラー、シャーンバヴィー・ムドラーのやり方が書かれている部分を紹介します。
下記引用部分は、特に記載のない限り「ヨーガ根本教典 (続) /佐保田鶴治」を出典とします。
シャクティチャーラニー・ムドラー
3.54 体に灰を塗り、達人坐で坐り、両鼻からプラーナ気を吸いこみ、これをアパーナ気にしっかりとつなぐべし。
3.55 気がスシュムナー気道のなかに入り、力強く顕われ出るまでは、アシュヴィニー・ムドラーでもって秘所(肛門)をしめるべし。
3.56 その時に、イキの束縛であるクンバカによって、かの蛇形の女神はイキがつまりそうになって、登り道に門出する。
ハタヨーガプラディーピカーで示されている10のムドラーの中で最後に出てくるムドラーであり、成瀬雅春氏の本ではこのムドラーをクンダリニーヨーガにおいて最も重要であると位置づけています。
やはりどちらの教典でもやり方は具体的には書かれておらず、また書かれている部分だけ比較してもかなり異なっているようです。
ハタヨーガプラディーピカーではヘソのあたり、カンダと呼ばれるエネルギーの貯蔵庫のような部分を重視しており、バストリカー呼吸法やカカトでの圧迫をつかってこのあたりを刺激しています。
ゲーランダサンヒターでは、肛門をしめるアシュヴィニームドラーとクンバカ(止息)が行法の中心のようです。
ターダーギー・ムドラー
3.61 パシチモーターナの体位をなし、胃の部を引っこめて池の形にする。これがターダーギーであって老と死を無くする。
同様な名前のタダガムドラー(Tadhagaは「池」「沼」などの意味)は、現代のアシュタンガヨガにもでてきます。サルヴァンガーサナの前のタイミングで、シャヴァーサナのように仰向けの状態になりますが、リラックスするのではなくサマスティティヒのように筋肉の緊張は保ったまま行います。
ゲーランダサンヒターで示されているやり方は、前屈のパスチモッターナーサナで行われているようなので全く別の形のようですが、おなかを池のようにイメージしてエネルギーを蓄えるという観想法としては同じのように思えます。
マーンドゥーキー・ムドラー
3.62 口を堅く結び、舌先を舌根(口蓋)の方へ移動しておいて、少しずつ甘露を飲むべし。これをマーンドゥーキー・ムドラーと知るべし。
舌を使ったケーチャリームドラーと同じようなムドラーですが、これは舌をあまり伸ばさなくても行えそうです。
ケーチャリームドラーはハタヨーガではとても重要なムドラーとして扱われていますが、舌の下の筋を切ってだんだん舌を長くしていくといったような難度の高い行法でした。マーンドゥーキームドラーはその簡易版にも見えますが、それでも若さを保てるという効果も説明されていて、やはり頭から落ちる甘露を受け止めるというのが、老いに抗するための重要な要素であると感じ取れます。
シャーンバヴィー・ムドラー
3.64 眉間を凝視しながら、自我の楽園を見つめるべし。これがシァーンバヴィー・ムドラーであって、すべてのタントラ(密教経典)において秘密とされている。
ハタヨーガプラディーピカーではムドラーの章には含まれておらず、なぜか最終章で示されていたムドラーです。
意味や効果についてはどちらの教典でも長々と語られていますが、具体的な方法はあまりはっきりとしていません。肉体的には、両目で眉間を凝視する(上向きに寄り目にするような感じ)というように書かれていますが、実際は意識をそこに向けるだけで目は動かさない場合もあります。
そして「自我の楽園」の解釈も分かれます。眉間の奥にあると言われる、甘露を生み出す空洞のブラフマランドラに意識を集中するという意味か、あるいは真我(アートマン)を観想するという意味にも取れます。
クンダリニーヨーガでは、第3の目(第6チャクラ)を目覚めさせるための行法の一つとして用いられることもあるようです。
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