ヨガや瞑想のひとつのゴールとして「心の波立ちをおさえる」という状態がありますが、別の言い方をすれば「自分を正確に把握し、コントロールする」ということであると思います。
(『進撃の巨人』でも、とっても強いアッカーマン家の能力として、同じような描写がされていますね…。)
まずは「正確に把握」するための、客観的な観察力が必要です。
ところが厄介なことに、人間は「心」を使って物事を把握するので、心が乱れていては物事を正確に把握できないのです。
なので「心」自体を「自分」だと思ってしまっていては、自分を正確に観察することは難しい。
まず「心」を、物事を映し出す鏡のような「道具」として捉えてみます。
鏡が曇っていたり波立ったりしていたら、物事は正確に映し出せないので、それを平らで綺麗な状態に整えていくこと。ヨガや瞑想はそのための練習です。
曇らせたり波立たせたりするのは、「癖・習慣」です。
考え方の癖、先入観、固定観念といった心の癖ですね。
これらをひとつひとつ手放していくということです。
そして心と体はセットになっています。
心は脳にあるのか、心臓にあるのか、背骨にあるのか、その答えはまだわかりませんが。背骨が曲がれば性格も偏り、固まれば頑固で臆病になります。呼吸が浅くなればせっかりになり、深くなれば落ち着きます。
心も体も「自分」ではなく、客観的に観ることのできる借り物であると捉えてみましょう。
いまは癖や習慣によって歪んでいても、平らで綺麗な状態にもどしていくためのヒントがヨガや瞑想にはたくさんあります。
両方セットで整えていくことで、「自分」を含めた物事を正確に観ることができるようになっていきます。
じゃあそもそも「自分」てなんなの?
心が波立たなくなったとき、そこに映し出されるかもしれません。
ヨーガスートラに、そのヒントが書かれています。