ヨガや瞑想を練習し続けていると、雑念や余計な緊張がなくなっていくことで、本来の鋭い感覚が蘇ってきます。
人間は、子供の頃はとくに、とてもたくさんのものを感じ取れるセンサーを持っています。しかし大人になるにつれて、いろいろなセンサーを麻痺させていってしまいます。
とくに東京のように人が多く刺激の多いところでは尚更、感覚を麻痺させなくては生きていけないという人も多いでしょう。
ヨガや瞑想の練習によって感覚が蘇ってくると、世界はこんなにも刺激にあふれていたのかと気づきます。
何気ないところにすら気づきがあり、もちろん自分自身に対してもほとんど無限の気づきがあります。
刺激を求めて遠くへ出かけたり、たくさんお金を使ったりしなくても、ただ坐っているだけでたくさんの発見があることがわかります。
このように自然にたくさんの気づきが得られるようになった状態が、マインドフルネスと呼ばれる道の一歩目なのでしょう。
問題は、気づきが得られるようになったときに、いつも気にならなかったことまで気になってしまい、それがストレスになってしまうことです。
心を病みやすい人と話すと、他の人よりとっても感覚が鋭いことに気づきます。人よりも細かいところにも気づいてしまい、それがストレスになってしまうと、心の病気と呼ばれるものにつながってしまうようです。
「鈍感力」という言葉も流行りましたが、刺激の多い世界で「一見普通に」生きている人は、感覚を麻痺させているのでしょう。ただこれはこれで、なんだか不自然に思えます。
気づきをたくさん得られる鋭い感覚を持ちつつ、それに対していちいち良し悪しのジャッジをせず心を乱されないようにする。そのような状態が、マインドフルネス瞑想の目指している状態です。
私の理想としては、以下のいずれかあるいは両方ができるようになると、とても良さそうに思えます。
- 感覚の鋭さをコントロールできる
- 感覚に対する反応(心の波立ち)をコントロールできる
昔の人々は、これらがもっと自然にできていたのかもしれません。
最近は「味がよくわからない」などという人も増えているようです。
いろいろな感覚を麻痺させてきた結果でしょう。
聞きたくないラジオにはチューニングを合わせなくてもいいのです。
見たくないテレビにはチャンネルを合わせなくてもいいのです。
まずは余計な刺激をなくしていき、余計な思考(反応)をなくしていくことで、余計なエネルギーを頭に使わせないようにしてあげましょう。
綺麗な景色を観たり、おいしいものを食べたりするときは、感覚を働かせて、たくさん感動する。
見なくてもいいもの、知らなくてもいいことに対しては、知覚しないようにするか、知覚してしまったとしても心乱されないようにする。
そんな状態になれたら、刺激あふれるこの世界をもっと、楽に楽しく生きられそうです。