自然の中に生まれた人間は、日々不自然なことをしていると心身に異常をきたすようになります。
なるべく不自然・違和感を減らすことが、心身の健康につながります。
体の自然な使い方
自然:重力や環境に適した姿勢
不自然:歪んだ姿勢
自然:動き続けている
不自然:同じ姿勢を長時間続けている
長時間、悪い姿勢で座って仕事を続けているのは、とても不自然なことですね。
では坐禅のように長時間坐って瞑想するのはよくないのか?という疑問が生まれます。
確かに体だけを見れば不自然であり、何時間も何日も坐っていたら、脚に異常が出てくるでしょう。
蓮華座に限らず、どんなアーサナでもそうでしょう。
戦士のポーズを1時間続けているのは不自然です。
しかし坐禅やアーサナが自然から遠ざかる間違った練習なのかというと、そうではなく、これらは心を動かさないための練習と考えると良いと思います。
心の自然な使い方
自然:落ち着いていて不動である
不自然:揺れ動いている
自然は雑念がなく、ただそこに在り、やるべきことをやっています。
それに対して、人間の心は揺れ動きます。人間も「自然に」生きることを目指すとしたら、心を不動にする必要があります。
坐法などを含めたヨーガの技法は、そのための練習であり、体を不動にすることで心を不動にすることを目指します。
様々な呼吸法もありますが、吸って吐くことだけでなく「止息」も含めて重要とされています。ハタヨーガでは最終的に「自然に呼吸が止まった状態(ケーヴァラ・クンバカ)」を目標としています。現実的にはとーってもゆっくりな深い呼吸を目指していくのが良いと思います。
このような練習を積み、歩いているときも日常生活をしているときでも、どんなときでも心が揺れ動かないようになれば、それが最も自然に近いのでしょう。
なぜ人は不自然なことをしがちなのか
もっと自然に生きられるように創られていれば、もっと人間も楽に生きられたかもしれないのに、なぜこんな面倒な心身を抱えながら生きているのか。
正解はわかりませんが、神の遊戯であるとか、より高い次元に進化するためだとか、いろいろな説が唱えられています。
様々な文化は、人間の雑念から生まれます。いろいろな経験をして悩み苦しんだ末に、とても良い詩や音楽などが生まれたりもします。
そう考えると、人間は、いろいろ思い悩んでいろいろ試して経験した末に、自然にもどっていくように創られているのかもしれません。
なので、悩み苦しむことは人間として必要なことであり、それ自体を否定するべきではないのでしょう。
ヨーガスートラもそのような考え方をしていますが、どんな哲学を取り入れるかは、人それぞれで良いと思います。
≫ヨーガスートラ解説 4.1-4.3 〜障害を破壊し、自然な流れを導く〜
哲学が違う人同士で争う必要もないし、人を強引に同じ考え方に引き入れようとするのも無駄なことです。
今の自分にしっくりくる考え方を取り入れれば良いのだと思います。
言葉にしてしまえばいろいろな解釈や誤解も生まれます。黙ってあるがままに振る舞っている、周りの自然から生き方を学ぶのも良いかもしれません。