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果てしないようで、終わりのある道

果てしないようで、終わりのある道

有限の人生で、成すべきことを成すために、研ぎ澄ます

ヨガを始めて心身が柔らかくなってきたけれど、「練習するたびに、道が遠くなっていくように感じる」「向かう先はどこなのか?」といった感覚にとらわれる方が何人かいらっしゃったので、その点に関して少し。

いままで動くとは思っていなかった部分が、本当は動くのだと気づき始めたり、イメージすらできなかった動きが、できるのかも?とイメージできるようになってきたり、まじめに取り組んでいると、いろいろな気づきが訪れます。

体が動き始めると、姿勢が良くなって印象が良くなったり、内臓の働きもよくなってきたり、集中力が増してきたり、色々な良いことも起こります。

しかしすぐに結果が出ると、そこに執着や慢心をしてしまったり、次の結果を期待してしまうことがあります。

すぐに変化が起こる場合もあれば、少〜しずつ変化する場合もあります。3歩進んで2歩下がる場合もあれば、3歩進んだと思ったら4歩下がる時期もあるかもしれません。でもそのあと5歩進めるかもしれません。

一喜一憂しないようにしましょう。結果を追い求めず、方向性だけを確認しながら、淡々と積み重ねます。準備ができたら、結果は向こうから自然に訪れるものです。

さて、少しずつ前進していったとして、その先にはなにがあるのか。

結論から言えば、先になにが起こるのかなんて正確にはわかりません。人間は無常な自然の中に生きていて、人間の心身も自然の一部です。だから先を考えず、今やるべきことを積み重ねるのが最善ということです。

ひとつできるようになったら、次の課題が見つかり、心身はいくらでも研ぎ澄ましていくことができるように感じられます。

古代のハタヨーガが、狂気を感じるほどに浄化法にこだわってきたのもよくわかります。

参考:ハタヨーガのシャットカルマ(6つの浄化法)

アーサナの話で言えば、何年も練習してようやくシルシャーサナができるようになったら、次はピンチャマユラーサナに挑戦したくなるかもしれません。

シルシャーサナができるようになったとき、体幹の強さ、バランス感覚といった「結果」が自然と訪れているはずです。ピンチャマユラーサナができるようになったとき、肩周りの安定性や、より高いバランス感覚が自然と訪れています。

≫シルシャーサナ

≫ピンチャマユラーサナ

その道は、果てしないようにも感じます。

しかし肉体は普通、老いていって、終わりを迎えるものです。丁寧に磨いて研ぎ澄ましていったとしても、いずれ手放すときが来ます。

なので、研ぎ澄ますこと自体が目的になってしまうと、結局その先にたどり着けないことがわかってしまったとき、絶望して方向を見失ってしまいます。

研ぎ澄ますことだけにとらわれて人生が終わってしまったら、練習ばっかりしていて本番に行き忘れてしまったようなものです。

限られた時間の中で、成すべきことを成すために、健康を保ち、余計なことをしないようにする。そのために、個々人の状況に合わせて、可能な限り、心身を研ぎ澄ますということです。

そして、アーサナをする場合も、瞑想をする場合も、結果として心身の能力を高めることにはなりますが、利己的な気持ちを持っていたり、ただやらされているという気持ちで行っていても、良い結果はついてきません。成すべきことを成すためにやっているのだ、という気持ちで行うのが良いと思います。

≫「生まれた理由」「今なにをするべきか」についての話

男性ヨガインストラクター 高橋陽介の写真

高橋陽介

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