ヨガのレッスンで最後に数分間行うシャヴァーサナ。
日本では、屍のポーズ、死体のポーズ、安らぎのポーズなどいろいろな呼び方をされています。
ただ寝っ転がっているだけのようですが、実はとても奥の深いアーサナです。
ヨガを始めたばかりのころや、疲れているときなどは、シャヴァーサナ中に眠ってしまうこともあるかと思います。
本当のところ、シャヴァーサナで、眠ってもいいのか?
ひとまず、初心者向けのシャヴァーサナ練習法
私の考え方としては、シャヴァーサナではなるべく眠らないようにしたほうが良いと思います。
眠らないようにして、体と心の余計なはたらきをなるべく無くしていくということに集中すると良いでしょう。
- 体:力み・緊張をなるべく無くす
- 心:雑念をなるべく無くす
なるべく体と心が働いていない状態、つまり死体、に近づいていくということです。
そのためには、まずは呼吸に集中するのが有効です。
呼吸をなるべくゆっくり深くしてみたり、ただただ呼吸の数や長さを数えるのも良いでしょう。
つまり、瞑想と同じなのです。
しかし実際の死体は呼吸すらしていません。
より死体に近づくためには、呼吸に向けていた意識をより広い範囲へと向け「肉体を忘れる」といった領域へ続いていきますが、それは結構あとの話で良いでしょう。
まずは、心身の余計な働きを減らしていくということをやってみてください。
眠っているのとは何が違うのか?
シャヴァーサナに限らず、アーサナを行っているときは常に「気づき」が働いている状態です。
体がどんな状態なのか
- 骨が正しく並んでいるか
- 筋肉は適切に力を発揮できているか
心がどんな状態なのか
- 落ち着いているか
- 別のことを考えていないか
といった心身の状態に、気づき続けていられるほど、効果も高まるものです。
眠ってしまったら、これらの気づきは中断してしまいます。
夢を見られたとしたら別の次元の気づきがあるかもしれませんが、それはまた別の行ということになるでしょう。
つまり、シャヴァーサナを行うということは、「死体になりきること」に集中し、行っている最中は心身への気づきを連続させている、ということです。
気づきが連続しているということは、いつでも死体になれるし、いつでも戻ってくることもできるということです。もし眠ってしまっていたら、自発的に戻ってくることは難しいでしょう。
シャヴァーサナの意義を考える
マジメにシャヴァーサナを練習し始めると、「死体になりきる」ということは、意外と難しいと気づくでしょう。
体にはたくさんの歪みや力みがあって、じっと止まっていることができないかもしれません。心は全く集中できず、レッスン後に何を食べようかな…といった雑念に飲まれてしまうかもしれません。
心も体も不動に保てるようにすることが、ヨーガのひとつの目標です。
シャヴァーサナはそのための重要な練習かつテストにもなるもので、ヨガのレッスンで行うポーズたちは「最後にシャヴァーサナをうまく行うこと」につながっている、と言われることすらあります。
道具を使ったり姿勢を変えたりするバリエーション
たとえば腰痛がある場合などは膝を曲げて膝下にボルスターを入れた形をつくったり、横向きに寝てボルスターを抱える形にしたりしても良いです。
姿勢が定まったら、なるべく不動を保って、「死体」になりきれるようにしましょう。
ただ、苦しい場合は途中で姿勢を変えても構いません。無理して続けていても「苦しい〜 はやくおわれ〜」という雑念に囚われつづけてしまいます。
シャヴァーサナを深める
心身の余計な働きに気づき、それらをなるべくなくしていくことを続けていってみましょう。
まずは体の歪みや力みをなるべく少なくして、長時間快適にじっとしていられるような体の状態をつくります。
レッスン後になにしようかな…といった、次々湧いてくる雑念も、なるべくよけておくようにします。
そして、体の感覚器官から受ける印象をコントロールできるようにしていきます。たとえばシャヴァーサナ中に音が聞こえたりしても、それによって心を乱されないようにします。
それでも「気づき」は常に連続させられるようにしていきます。これが「眠り」との大きな違いです。
気づきはまず自分の体に向けられ、心に向けられ、さらに周りの世界へ広がっていって、肉体と心への執着がなくなっていきます。
死体はいずれ朽ちて、自然の中へ溶け込んでいくものです。そのような過程を体感するところも含めて、シャヴァーサナなのだと思います。
では、肉体と心が滅んでいったとして、それに気づき続けているのは誰なのか?「魂」のようなものがあるのか?といった話にもつながっていきますが、そのあたりに興味が出てきた方は、ヨーガスートラを読んでみても良いかもしれません。