ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 3.26(3.25)
प्रवृत्त्यालोकन्यासात् सूक्ष्मव्यवहितविप्रकृष्टज्ञानम्॥२५॥
pravr̥tty-āloka-nyāsāt sūkṣmā-vyāvahita-viprakr̥ṣṭa-jñānam ॥25॥
(読み)プラヴルッティ アーローカ ニャーサート スークシュマー ヴヤーヴァヒタ ヴィプラクルシュタ ンニャーナン
(訳)内なる光にサンヤマを行うことによって、微細な・隠された・遠く離れたものに関する知が得られる。
[SS]: By samyama on the Light within, the knowledge of the subtle, hidden and remotes is obtained. [Note: subtle as atoms, hidden as treasure, remote as far distanct lands]
[SS訳]: 内なる光にサンヤマを行うことによって、微細な・隠された・遠く離れたものに関する知が得られる。(原子ほどに微細な、財宝のように隠された、大陸間のように離れたものであっても)
[SV]: By making Samyama on that effulgent light comes the knowledge of the fine, the obstructed, and the remote.
[SV訳]: (心臓の中にある)輝く光にサンヤマを行うことによって、微細な・隠された・遠く離れたものに関する知が得られる。
Sutra 3.27(3.26)
भुवनज्ञानं सूर्ये संयमात्॥२६॥
bhuva-jñānaṁ sūrye-saṁyamāt ॥26॥
(読み)ブーヴァンニャーナン スールイェ サンヤマート
(訳)太陽にサンヤマを行うことによって、太陽系すべてに関する知が得られる。
[SS]: By samyama on the sun, knowledge of the entire solar system is obtained.
[SS訳]: 太陽にサンヤマを行うことによって、太陽系すべてに関する知が得られる。
[SV]: By making Samyama on the sun, (comes) the knowledge of the world.
[SV訳]: 太陽にサンヤマを行うことによって、世界に関する知が得られる。
Sutra 3.28(3.27)
चन्द्रे ताराव्यूहज्ञानम्॥२७॥
candre tāravyūha-jñānam ॥27॥
(読み)チャンドレ ターラヴユーハ ンニャーナン
(訳)月にサンヤマを行うことによって、星の配置に関する知が得られる。
[SS]: By samyama on the moon comes knowledge of the stars’ arrangement.
[SS訳]: 月にサンヤマを行うことによって、星の配置に関する知が得られる。
[SV]: On the moon, (comes) the knowledge of the cluster of stars.
[SV訳]: 月にサンヤマを行うことによって、星の集まりに関する知が得られる。
Sutra 3.29(3.28)
ध्रुवे तद्गतिज्ञानम्॥२८॥
dhruve tadgati-jñānam ॥28॥
(読み)ドゥルヴェー タッガティ ンニャーナン
(訳)北極星にサンヤマを行うことによって、星の動きに関する知が得られる。
[SS]: By samyama on the pole star comes knowledge of the stars movements.
[SS訳]: 北極星にサンヤマを行うことによって、星の動きに関する知が得られる。
[SV]: On the pole star (comes) the knowledge of the motions of the stars.
[SV訳]: 北極星にサンヤマを行うことによって、星の動きに関する知が得られる。
解説・考察
超能力に執着してはならないシリーズ、今回は「見えないものや遠くのことを知る」です。
3.26節では、「輝く光」がサンヤマの対象となっています。ヴィヴェーカーナンダ氏の解説によれば、これは「心臓の中にある光」であると述べられています。
体の内側にあるものへ集中することで、見えないものや遠くのものが分かるようになるとはどういうことでしょうか?
詳しい解説がされている訳本は少ないのですが、1.36節の前後で述べられていることを参考にしてみます。
≫ヨーガスートラ解説 1.33-1.39 〜集中・瞑想する対象の選び方〜
「内なる光」は、集中・瞑想の対象候補として挙げられています。集中・瞑想することによって心を一点に定めることになります。
つまり、心を一点に定めることで、微細なもの・隠されたもの・遠いところにあるものを近くするための感覚が湧き上がる、ということを、3.26節は述べているのかもしれません。
その感覚が整ったうえで、3.27〜3.29節では、遠いところにあるものへ次々にサンヤマを行っていきます。
3.27節のbhuvaという語が指す意味は、訳者によって解釈が異なり、world・beingなど広い意味を持つ言葉のようです。ここでは「太陽が影響を及ぼす世界全体」として太陽系全体と解釈しました。
さて、そんな遠くのことを知って、どうしますか? 自分自身のこともよく分かっていないというのに。
≫ヨーガスートラ解説 3.30-3.35(3.29-3.34)
≪ヨーガスートラ解説 3.24-3.25(3.23-3.24)
(※)3.22節に関しては、訳者によっては抜けているため、このあとの節番号がひとつずつズレている訳本もあります。この節が後世に付け加えられたものとされているのか、詳細は分かっていないようです。そのため、ヨーガスートラは全体で195節とする場合と、196節とする場合があります。ここでは3.22節は存在するとしてカウントした節番号をメインに使い、存在しないとした場合の節番号をカッコで示すことにします。