前記事で「浄化とチャージ」について書きました。
前記事:パワースポットの効果・選び方について|補瀉(チャージと浄化)を元に考察
初詣で神社に行く方も多いかと思いますが、神社の神前や神棚に向かって唱える祓詞の「略拝詞」にも、浄化とチャージの意味が込められているように思えます。
旧年の煩悩を手放し、新年のエネルギーを取り入れるようなイメージを込めて、頭の中で唱えてみると良いかもしれません。
よく用いられる略拝詞と、浄化&チャージ
祓詞は、すべて唱えると結構な長さになりますが、簡単に唱える場合は「略拝詞」が用いられます。
略拝詞は、いちばん簡単な形であれば「祓(はら)え給え、清め給え」となります。
それに加えて、「祓(はら)え給え、清め給え、神(かむ)ながら守り給え、幸(さきわ)え給え」と唱える形もあります。
私もこの毎日神棚にこの形の略拝詞を唱えています。
根府川道場でも、この文に少し加えた祝詞が毎朝唱えられているようです。断食合宿に2回目に訪れたときの朝、祝詞と般若心経を神前で唱えていました。
もうお分かりかと思いますが、「祓え給え、清め給え」は浄化、「守り給え、幸え給え」はチャージを感じさせる言葉です。
余計なものをまず手放して、新たな気を入れてくる、補瀉の考え方にも通じます。
浄化・祓うことの重要性
前記事でも書きましたが、新しいものを入れる前に、まず手放すことのほうが大事のように思えます。呼吸も、まずは吐ききらなければ、たくさん吸い込むことはできません。
そのため、余計な煩悩などを払うお祓いという儀式や、毎日のように神社で唱えられている祓詞は、とても重要なものなのでしょう。
略拝詞は覚えやすいですが、一応全体の大祓詞を以下に引用しておきます。
高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命は 豐葦原水穗國を 安國と平けく知ろし食せと 事依さし奉りき 此く依さし奉りし國中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隱り坐して 安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪 許許太久の罪出でむ 此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち斷ちて 千座の置座に置き足らはして 天つ菅麻を本刈り斷ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ 國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を搔き別けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば 罪と云ふ罪は在らじと 科戶の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き拂ふ事の如く 大津邊に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 燒鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓へ給ひ淸め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀨に坐す瀨織津比賣と云ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と云ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 氣吹戶に坐す氣吹戶主と云ふ神 根國 底國に氣吹き放ちてむ 此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と云ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在らじと 祓へ給ひ淸め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す
出典:Wikisource
ちなみにここにも出てくる高天原は日本の神話に出てくる地で、同じ地名の場所が日本各地にあります。パワースポットといわれる大神島にも「タカマ」がありました。
タカマの浜で瞑想していたら、曇っていた空が一気に晴れてきた話は、以前旅行記に書きました。
初詣で、祓詞を唱えてみては
ただ唱えるだけでなく、気は意志に従って流れるので、イメージも大切です。
これを「身(行動)・口(言葉)・意(心)」を伴って、「宣(の)る」というように表現することもあります。
初詣に行かれる方は、煩悩・執着を手放して新しいエネルギーを入れるイメージをしながら、略拝詞を頭の中で唱えてみると良いかと思います。
「祓(はら)え給え、清め給え、神(かむ)ながら守り給え、幸(さきわ)え給え」