現在の日本に伝わっている「ヨガ」とは一体なんなのか、いろいろと研究してきて、いろいろと分かってきましたが、まだまだ研究中です。
そもそも私がなぜ源流をたどっていこうと思ったのかというと、いわゆる「現代ヨガ」に違和感を覚えたからです。
5000年の伝統があると言われながら、数百年前のハタヨーガすら現代ヨガとはまるで違うものであったり、エクササイズ的な面だけがクローズアップされていたり、日本ではなぜか主に女性が行うものと思われていたり、®とか™とかがついた◯◯ヨガがたくさん生まれていたり、すごく良い哲学や呼吸法や瞑想法などもヨーガとして伝わっているけれども現代ヨガにはほとんど取り入れられていなかったり、流行っているのはわかるけども、なにかがオカシイと思ったのです。
オカシイと思ったら、じゃあヨガはやめておこうと敬遠することもできますが、これだけ世界中でたくさんの人が行っているヨガとは本当はどういうものなのか、私は可能な限り調べてみたいと思いました。
それは誰のためでもなく、自分のためでもなく、なんとなくです。秘密を暴いてやろうとか、そういう感じでもありません。
初期の頃から言っていますが、私はヨガの信者でもないし特定のテクニックにこだわりません(そういえば最近、クリシュナムルティ氏の本を読んで「常にアウトサイダーであれ」という姿勢に共感を覚えました)。
いろいろな健康法、いろいろな道を曇りなく観て、教えるときにはその相手にあったものを提示できるように引き出しを増やしています。そのときも、道へ引き込むように強制したりはしませんし、ただヒントを出して、自分自身で気づいてもらう、ということをしているだけです。
曇りなく観るために、私は少しヨガの源流をたどってみようと思ったのでしょう。
そんな感じで私は、今はヨーガをメインのツールのひとつとしてはいますが、執着はありません。自分にとっても、いつか不要になるときが来ると思います。
しかし、ヨガを実践する人も、ヨガインストラクターも、ヨガビジネスを運営する人も、いつの間にか狭い世界を作り上げて執着してしまうことが多いように思えます。
狭い世界に執着すぎてしまうと、なにか違和感のある結果が生まれてきてしまう気がします。
アーサナができなくて必要以上に苦しんだり、他人と比較して妬んだり、限られた(と錯覚している)枠を奪い合ったり、ヨガをしているはずなのにいつの間にか非暴力(アヒンサー)も誠実(サティヤ)も忘れ去っています。
何事にも、違和感を覚えたら、ほうっておかずに、一度アウトサイダーになってみると良いと思います。客観的に曇りのない目で、世界と自分自身を観察してみましょう。
必要であれば、源流をたどってみるのもいいと思います。違和感の原因は、どこから生まれたのか。
まずは気づくことが大事です。そして、誠実な行動を起こせば良いのだと思います。
≫色々な瞑想法がつくり出された理由を考えてみる 〜ヨーガ・サマタ・ヴィパッサナー・マインドフルネス〜