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色々な瞑想法がつくり出された理由を考察|ヨーガ・サマタ・ヴィパッサナー・マインドフルネス

色々な瞑想法がつくり出された理由を考察|ヨーガ・サマタ・ヴィパッサナー・マインドフルネス

本当に欲しいものに気づくために、余計なものを手放す

今も昔も変わらない、人の望み

今も昔も、人は幸せになりたいのでしょう。
では、幸せな状態とは?

おそらく、物質的に何かを得ることによる幸せを追い求めるのはキリがない。

じゃあ、欲を手放せたらいいのか?
でも、欲がなかったら生きていけるのか?

いつの世も、そうした考えを巡らせながら人は生きてきたのでしょう。

「本当に欲しいものに気づく」ためにはどうしたらいいか?

まずは「余計なもの」に気づき、手放していく

本当に欲しいものに気づくことを邪魔しているのは、余計なものや余計な情報ですが、そもそも「余計である」ことに普段気づいていないので日々の時間やお金を奪っていきます。

余計なことをしようとする根本の原因は、余計な心の働きでしょう。

たとえばヨガでよく用いられている教典「ヨーガ・スートラ」では、冒頭2行目に
「ヨーガとは心の働きを止滅することである」と書かれています。
「心の波立ちを抑えることである」と言い換えてお伝えしたりもします。

余計な心の働きを手放していくために、何か「対象」を選んで、「集中」をします。集中しているときは、雑念から離れて心が1点に落ち着きます。
その集中が、自然に、強いることなく連続した状態が「瞑想」と定義されます

対象は、今の自分にあったものを選びます。最初は対象への集中から離れてしまうことが多いですが、練習することで集中が途切れず一本の糸のようにつながり、瞑想に至ります。

ヨガの8ステップにおいては最後の3ステップが集中・瞑想・三昧(対象との一体化)であり、集中に入る前の準備として体・姿勢を整える過程があり、その部分がエクササイズとしてクローズアップされているのが現代のヨガです。

心の働きを止めた状態とは?

ぼーっとしている状態?深く寝ている状態?それとも死んでいる?

昔の人たちが、必死で目指していたとしたら、ちょっとこれらは違いそうですね。

「心を穏やかにしたり活発にしたり、1点に集中したり宇宙まで広げたり、自在にコントロールできる状態(集中力)」かつ、「心の働きに惑わされず本当に価値のあるものに気づける状態(洞察力)」というイメージが近いと思います。

この状態に至ることが、冒頭の「幸せ」の一つの形と言えるかもしれません。

たとえば「生きがい」に気づき、その生き方に対して「自然に連続して集中」できている人は、芯があり、爽やかに生きているように見えます。

全部一度に手放すのは難しいので、いろいろな分別法・段階を作ろうとした

心を自在にコントロールするには、まずはそれを邪魔するような余計な心の働きを抑えていく必要があります。

じゃあ、いきなり「余計な働きを全部止めてください!」と言われても難しい。

たとえば「家の中にある要らないものを全部捨ててください!」と言われても、まずは「分別」しないと、要るものと要らないものが分からなかったり、捨てることを躊躇したりしますね。

その分別の仕方・段階を設けるやり方・あるいは集中する対象の違いによって、色々な瞑想法が生まれたのでしょう。

集中力だけではダメで、洞察力(気づき)が要る

たとえば何かを信じることに集中している人は、揺るがない強さを持っているようにも見えますが、どうも一般人から見て違和感のある人もいます。「盲信」という単語が生まれたのは、そういう違和感からでしょう。

ただただ突っ走るだけの人、というのも集中力はありそうですが、どうも何か違う気がしますね。

このような違和感を避けて、数多くの道のなかから正しい対象を選んで集中を深めていくためにも「集中(サマタ)」と「気づき(ヴィパッサナー)」の2種類の瞑想が現代にも伝わっているのだと思います。

釈迦が悟りを開こうとしたとき、やはり集中だけでは悟りには至れないと感じ、ヴィパッサナーを用いたという理由も察することができます。

自分や周りの世界を客観的に観て、不自然・違和感に気づく「洞察力」を養い、絶え間なく気づき(マインドフルネス)を働かせることが、集中するための良き対象を選び、そして「本当に欲しいもの」に気づき・悟るために必要ということでしょう。

マインドフルネス瞑想」は「気づき」をメインとした瞑想ですが、瞑想法としてはサマタとヴィパッサナー両方を含んだものです。また、宗教的な側面をなるべくなくして、具体的な方法としてまとめられたものであるため、宗教に関係なく欧米などでも広まっています。

瞑想を始めるには、何からする?

気づきを養う練習であるヴィパッサナー瞑想には、絶え間なく・客観的なセンスで気づきを探していく必要があるため、ある程度の集中力が必要です。そのため、一般的にはサマタ瞑想をある程度練習してから(一定時間、心を1点に集中することができる程度)ヴィパッサナー瞑想を行うのが良いとされます(ヴィパッサナーだけを行うという流派もあるようですが)。

その最初の段階で、間違った対象を選んでしまったらマズいですね。

なので、大金を払って像や壷を買ったり入信したりしなくても、いつでもどこでも始められる「呼吸」が最初の対象として選ばれるのが一般的です。

まずは呼吸を対象として集中の練習をし、対象から離れても戻ってくる、ということを繰り返していれば、自然と集中が途切れないようになっていきます。
この能力は、一度身につければ一生使えますし、仕事やどんな場面でも活用できます

全てが過多な現代において、余計なことを手放していく重要性に気づいた人たちが、瞑想に興味を持ち始めて、広まってきているようです。

始めたいと思っている人は、今からでも始められます。
呼吸に集中してみましょう。最初は退屈かもしれませんが、その練習が確実に自分を少しずつ変えていき、今も昔も人が求めてきた「幸せ」につながっていくのだと思います。

≫瞑想の始め方・続け方メモ

男性ヨガインストラクター 高橋陽介の写真

高橋陽介

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