オンラインレッスン ヨーガスートラ日本語訳
ヨーガスートラ解説 4.4-4.6 〜瞑想から生まれるもの〜

ヨーガスートラ解説 4.4-4.6 〜瞑想から生まれるもの〜

あれこれ考えて行うよりも、瞑想して生まれた心に従うべし

ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。

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英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/

訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda

Sutra 4.4

निर्माणचित्तान्यस्मितामात्रात्॥४॥
nirmāṇa-cittāny-asmitā-mātrāt ॥4॥

(読み)ニルマーナチッターニヤスミターマートラート

(訳)エゴのみが、(本来備わっている以外の)心の働きを生み出す。

[SS]: A Yogi’s egoity alone is the cause of [other artificially] created minds.

[SS訳]: ヨーギのエゴのみが(人為的なその他の)心を生み出す。

[SV]: From egoism alone proceed the created minds.

[SV訳]: エゴのみが心を生み出し続ける。

Sutra 4.5

प्रवृत्तिभेदे प्रयोजकं चित्तमेकमनेकेषाम्॥५॥
pravr̥tti-bhede prayojakaṁ cittam-ekam-anekeṣām ॥5॥

(読み)プラブルッティ ベーデー プラヨージャカン チッタメーカマネーケーシャーン

(訳)生み出された心の働きは様々に異なるが、本来備わっている心は、それら全ての心に対する命令者となる。

[SS]: Although the functions in the many created minds may differ, the original mind-stuff of the Yogi is the director of them all.

[SS訳]: 生み出された心の働きは様々に異なるが、ヨーギの本来の心は、それら全ての心に対する命令者となる。

[SV]: Though the activities of the different created minds are various, the one original mind is the controller of them all.

[SV訳]: 生み出された心による行為は様々であるが、ただひとつ在る本来の心は、それら全ての心の制御者となる。

Sutra 4.6

तत्र ध्यानजमनाशयम्॥६॥
tatra dhyānajam-anāśayam ॥6॥

(読み)タトラ ディヤーナジャマナーシャヤン

(訳)瞑想によって生まれた心のみが、人為的に生み出された様々な心とは異なり、カルマの印象(力)から逃れている。

[SS]: Only the minds born of meditation [the artificially created ones] are free from karmic impressions.

[SS訳]: 瞑想によって生まれた心のみが、(人為的に生み出された様々な心とは異なり)カルマの印象から逃れている。

[SV]: Among the various Chittas that which is attained by Samadhi is desireless.

[SV訳]: 様々なチッタ(心)の中で、サマーディによって得られたものは離欲を果たしている。

解説・考察

4.4〜4.6節では、ヨーガスートラで一貫して扱われてきた「チッタ(心)」について再び述べられます。

ここでは心は2種類に分類されます。

  • エゴから生まれた様々な心
  • 本来備わっている心(瞑想によって現れる)

無知、そしてそこから最初に生まれるアスミター(エゴ・我想)によって様々な煩悩が生まれるという話は、2.4〜2.9節などで述べられました。

≫ヨーガスートラ解説 2.4-2.9 〜「無知」から生まれる諸煩悩〜

本来備わっている心は、その他の様々な心に対する命令者となるといいます。そして、その本来の心によって行われることのみがカルマの力から自由であると述べられています。

これまでいろいろなことが述べられてきましたが、「結局なにをしたらいいの?」という疑問に対して、4.6節はひとつの明快な答えを与えてくれるように思えます。

煩悩から生まれた行為は全て結果をもたらすカルマとなってしまうので、ゴールである解脱からは遠ざかってしまうと2.13節で述べられました。

≫ヨーガスートラ解説 2.12-2.15 〜カルマと苦〜

たとえば自分が「善行」だと思って行ったことでも、なにか結果を期待してしまったり、他人の評価や自己満足を得ようという下心があったり、そういった隠れた煩悩によって生まれている行いは、結果をもたらすカルマになってしまいます。

ではなにをしたらいいのか、何もしないほうがいいのか?坐して死を待つほうがいいのか?と混乱してしまいますが、4.6節で述べられているように「ディヤーナ(瞑想)によって生まれた心」に従って行動することだけが、結果をもたらすカルマを積まない行いであるといいます。

なにか理由をつけないとできないようなことは、やるべきではないということです。

深く集中・瞑想をして雑念が払われたときに、自然と湧き出てくること・自然と思いついたことのほうが、頭をひねって絞り出したアイデアよりも優れていたりするのは、そういうことなのでしょう。

≫ヨーガスートラ解説 4.7-4.8
≪ヨーガスートラ解説 4.1-4,3

ヨーガスートラ日本語訳書籍

「インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ」スワミ・サッチダーナンダ (著), 伊藤 久子 (翻訳)

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高橋陽介

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