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ヨーガスートラが示す、第2支則「ニヤマ」を実践する意味

ヨーガスートラが示す、第2支則「ニヤマ」を実践する意味

専念することで、余計なもの・不純なものを手放していく

ヨガの8支則(アシュタンガ)の中の2つめ「ニヤマ(勧戒・個人的規範)」には5つの項目があります。

  • シャウチャ 清浄
  • サントーシャ 知足
  • タパス 苦行・熱意
  • スヴァーディヤーヤ 読誦
  • イーシュヴァラプラニダーナ 祈念・献身

現代ヨガのメインパートとなっている「ポーズをとる」ことは、第3支則。その前に、ヤマニヤマという道徳的な教えが示されています。

ヨーガスートラの中で、ニヤマの5項目を正しく実践した場合、どのような結果がもたらされるかということが書いてあるので、紹介します。

以下、日本語訳の引用には下記参考書籍を使用しています。

参考書籍:
≫ヨーガ根本教典/佐保田鶴治

この記事の目次

シャウチャ(清浄)の結果

2章40節「清浄の戒行を守るならば、人は自己の肉体に対しても嫌悪の情をいだくようになり、まして他人の身体に触れたりはしなくなる。」

2章41節「清浄の戒行を守るならば、さらに、サットヴァの浄化、愉悦感、一つのことがらに対する専念性、感覚器官の克服、自己直観の能力などが発現する。」

単に「体を清潔に保ちましょう」と教えられることもあるシャウチャ。

しかし、体はどうがんばっても粘液を出したりニオイを出したりします。

極端に清潔を目指してもキリがない。ほどほどに保ちつつ、結局のところは「肉体に執着しないように」ということを示しているようです。

ヤマの5項目から引き続き、様々なものに対する執着を手放すようにという教えが示されていきます。

ヨガでは肉体は「自分」ではなく、「乗り物」と捉えて考えます。

乗り物は、大切に清潔に扱いますが、必要以上に執着せず客観的に扱うようにしてみると、いろいろな雑念を手放すことができて、サットヴァ(純粋性)が現れてくるといいます。

サントーシャ(知足)の結果

2章42節「知足の戒行を守ることからは、無上の幸福が得られる。」

欲求を叶えることで幸福が得られるように思えますが、それを続けていくとキリがありません。

ある程度追い求めたら、一度欲求を手放してみると、何気ない日常を生きていることに幸せを感じるようになります。

欲求がなくなると、「やる気がない」「無気力」になってしまうのでは?と恐れてしまう人も多いでしょう。

しかし、「やりたいこと」がなくなったとき、純粋に「やるべきこと」が現れてきます。

それは人からやりなさいと言われるようなものではなく、自然と導かれるように行っていることです(そういう経験がある人も多いのでは)。

必ずそれを持って生まれてきているのだと、自分を信じて、欲求を手放してみるのも良いと思います。

タパス(苦行・熱意)の結果

2章43節「苦行を行ずるならば、身心の不浄が消え去るから、身体と諸感覚の超自然力が発現する。」

タパスの語源は、鉄を精製するように「熱を加えて不純物を取り除く」ということにあり、単に苦しい修行をするというよりも、自分の中にある純粋さが現れてくるようにするというイメージです。

不純物を手放していくと、本来持っていた力が現れてきます。

スヴァーディヤーヤ(読誦)の結果

2章44節「読誦の行に専念するならば、ついには自分の希望する神霊に会うことができる。」

なんだかオカルトっぽい感じにも見えますが、日本でもお経を唱えて仏様に祈ったりといったことは自然にやっていることです。

ヨガ的には、特定の神様を押し付けたりはしません。「自分の希望する」で良いのです。

イーシュヴァラプラニダーナ(祈念・献身)の結果

2章45節「自在神への祈念によって、三昧に成功することができる。」

ヨーガスートラでは、この項目だけは特別に扱われていて、第1章の中にも詳細に語られています。そして、イーシュヴァラプラニダーナを実践するだけで、8支則のゴールである三昧に至ることができるとしています。

「イーシュヴァラ」という言葉は、とても解釈が分かれるようです。

さっきのスヴァーディヤーヤでは特定の神様を押し付けないはずだったのに、イーシュヴァラはなんで特別なのか?

私としては、下記2通りの考え方がどちらもしっくりきます。

1)全てのものに宿っている(偏在の)神様
→人だけでなく動植物など全てのものに宿っているので、自分も周りのものも、全てを大切に扱うべし。

2)自分の中にいる純粋な自我
→人に押し付けられるものではなく、自分の中にいるもの。不純物をなくしていくことで、呼び覚ますことができる。

1章の中に、これに関連する記述があります。

1章24節「自在神というのは、煩悩、業、業報、業遺存などによって汚されていない特別な真我なのである。」

1章25節「自在神には、一切知の種子のなかの最高のものがそなわっている。」

たくさんの学者たちが頭をひねった末にいくつかの解釈が生まれているのですから、ひとつの答えに執着する必要はありません。自分的に、しっくりくる考え方を実践すれば良いと思います。

全体として「専念することで、余計なもの・不純なものを手放していく」

ニヤマの各項目には「専念する」ということが出てきます。

全体として、「専念することで、余計なもの・不純なものを手放していく」ということが示されているように思えます。

それによって、純粋な本来の自分が現れてきます。それは人から押し付けられるものでも教わるものでもなく、生まれたときから備わっている智や力を持った自分です。

多くの現代日本人は本当に余計なものにまみれています。

一気に手放すことは難しいですが、要らなさそうなものからちょっとずつ手放していくためのヒントを、ヨーガスートラは教えてくれます。

もちろん唯一の道筋・答えではなく「ヒント」です。

第1支則「ヤマ」については、こちら。
≫ヨーガスートラが示す、第1支則「ヤマ」を実践する意味

≫ヨーガ・スートラとは 〜現代ヨガの重要教典のひとつ・瞑想の教科書〜
≫初心者向けヨーガ・スートラの概要 前半(1章・2章)
≫初心者向けヨーガ・スートラの概要 後半(3章・4章)

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