瞑想の種類と順番
ある仏教の考え方によれば、瞑想には「止(サマタ or シャマタ)」と「観(ヴィパッサナー)」があるとされます。
止は「集中の瞑想」、観は「気づきの瞑想」などと解釈されます。
一般的に瞑想というと、「止」のほうを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
いわゆる「余計な思考を止めて雑念を払う」瞑想。でもいきなり「無になる」わけではありません。
その方法は、なんらかの対象に対して集中するということです。つまり「無心」のまえにまず「一心」を目指すことです。
思考は基本的に瞬間瞬間においては一つのことしか考えられないシングルタスクなので、その特徴を利用し、一つのことに集中することで他のことを考えないようにする、という原理です。
集中をするためには最初は努力が必要ですが、慣れてくるとそれが自然と連続するようになります。その状態が瞑想です。
ゲームや勉強をしているときなど、いつの間にかすごい時間が経っていたという経験はありませんか?
「集中」は努力して対象に向かっていく感覚ですが、「瞑想」は努力せずとも対象の方から向かってくる(対象からの視点が見える)ような感覚、とも言えるかと思います。(ヨガの基礎となる八支則においても「集中」の次に「瞑想」があります。)
サマタ瞑想で用いられる対象の種類はたくさんあり、分類上は40種類あると言われていますが、その中から自分に合ったものを選んで良いということです。
具体的には、お経など決まった文言を頭のなかで唱えたり、物や自然などをイメージしたり、体の一部分に集中してみたり、といった方法が用いられます。
その中で特によく行われているのが、「慈しみの瞑想」と「呼吸に集中する瞑想」です。これらも一例にすぎませんが、よく用いられているものとして紹介します。
慈しみの瞑想(慈愛の瞑想)
慈しみの文言を頭の中で唱えていく瞑想です。
まずは自分を慈しみ、その対象をだんだんと広げていきます。
唱えていると、誰かの顔が浮かんできたりするかもしれませんが、ただ言葉を唱えることに集中しましょう。
もし他の雑念が浮かんできたら、「雑念・雑念・雑念」と3回ラベリングをして一旦おいておきます。
少しずつアレンジされて世界中で用いられますが、下記に一例を書いておきます。
声に出さなくて構いません、頭の中でご自分のペースで繰り返し唱えていってみましょう。
私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いが叶いますように
私が幸せでありますように私の大切な人々が幸せでありますように
私の大切な人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の大切な人々の願いが叶いますように
私の大切な人々が幸せでありますように私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いが叶いますように
私の嫌いな人々も幸せでありますように生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いが叶いますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
呼吸に集中する瞑想(アーナパーナサティ・数息観)
呼吸に集中することで、雑念を払う瞑想です。
いろいろな方法がありますが、簡単なやり方としては「呼吸の数を数える」方法です。日本では数息観とも呼ばれます。
数えはしますが、たとえば「100回まであとすこし!」とか数にとらわれてはいけません。ただただ、数えるということに集中します。
「サティ」は「気づき」という意味ですが、アーナパーナサティでは呼吸の出入りを観察します。
呼吸が出入りしているどこか1点を「タッチングポイント」として定め、そこを出入りする空気の流れや質などを観察し続けるというやり方もあります。
鼻の穴の下あたりを定めるとやりやすいでしょう。その1点に定めたら、吸う息とともに中に動かしたりしないで、タッチングポイントは動かさないようにします。
最終的には、「無」を対象とする
今の自分にあった対象を選び、集中の練習を続けていくことで、様々な雑念が消えていきます。
雑念の分類法は、宗派などによっても様々ですが、全部一気に捨てることは難しいので自分にあった分類法で雑念を切り分けて、段階的に捨てていくように道が示されています。
そして最終的には、対象の無い瞑想、いわゆる「無心」へと至るわけですが、ここで至る境地については言葉では表せません。禅においては只管打坐にて自ら体得せよと言われています。古典ヨーガでは、無想三昧といった名前で説明されています。
参考:ヨーガスートラ解説 1.17-1.18 〜有想三昧と無想三昧〜
ご自分に合った瞑想を選んでみてください
「慈しみの瞑想を体験してみたら、いろいろな人のことを考え始めてしまって集中できなかった」という方もいらっしゃいました。
そういった場合には、意味がわからない言葉を唱えるほうが集中できる場合もあります。仏教でもよく用いられる「マントラ(真言)」を使ってみるのも良いでしょう。
「対象」となる選択肢はなんでも構いませんが、よく使われているものを知り、引き出し増やしていくことで、ご自分に合った「対象」を選べるようになっていけるかと思います。
やり方が公開されている瞑想法なので一人でやろうと思えばできるのですが、なかなか長時間坐っているのは難しいものですので、まずは誰かと一緒にやってみるというのは良いかと思います。