ハタヨーガの古典の中で、最も体系化されているとして重要視されているハタヨーガプラディーピカー。
今回は、ムドラーの章の結び、第4章のラージャヨーガ部門へつながる部分を紹介します。
以下、日本語訳は「ヨーガ根本経典/佐保田鶴治」から引用しています。
この記事の目次
ラージャ・ヨーガへ
3.125 ラージャ・ヨーガがなければ、どんなに美しい大地も、夜も、ムドラーも輝かない。
1.1節で示されたことを再度確認しています。ラージャヨーガは、ヨーガスートラによって示された心を扱うヨーガであり、身体を扱うハタヨーガも最終的にはヨーガスートラと同じように「三昧」がゴールということになります。
ヨーガスートラの中でも三昧には様々な段階がありましたが、ハタヨーガにおける三昧がどのように達成されていくかは、このあとの第4章で示されることになります。
参考記事:ヨーガスートラ解説 1.17-1.18 〜有想三昧と無想三昧〜
佐保田氏によれば、ここでの「大地」はアーサナを、「夜」はプラーナーヤーマを示しているといいます。そう考えると、アーサナ・プラーナーヤーマ・ムドラーと並列しているのがしっくりきます。これらはすべて、身体を扱う行法のようではあるけれども、最終的には心を扱うラージャヨーガへ至る道であるということです。
専心してムドラーを実践すべし
3.126 気に関する行法のすべてを、精神を統一して行なうべし。心ある人は精神のはたらきを、これらの行法以外のことに向けてはならない。
3.127 以上、十のムドラーは最高の主シヴァ神が説きたもうたところである。それらのなかの一つ一つが修行者に大きな霊力を与える。
3.129 この師の教えを信奉し、ムドラーの修行に専念する人は、「微細」等の霊能を身につけて、死神をあざむくことができる。
ここまで身体に関する話がつづいてきましたが、第4章のラージャヨーガへつながる部分として、「精神のはたらき」というような言葉が急に出てくるようになります。
ヨーガにおける集中(ダーラナー)は心を一点に定めることであり、ある行法をやると決めたのなら、その行に集中してやりきらなければ、ゴールに至ることはできないのでしょう。
そこに至る過程で、いろいろな霊能力が身につくといわれます。ヨーガスートラも、ハタヨーガの教典も、いろいろな超能力をちらつかせてきます。ただ、それを目的として修行をしていては、魔道に堕ちてしまいます。あくまで目的は「三昧(サマーディ)」ということです。
そして、冒頭1.1節にあったようにハタヨーガはシヴァ神によって与えられた教えとされていて、ここでもシヴァ神が出てきます。
ヴィシュヌ神を信奉するヴィシュヌ派は、バクティヨーガを示すバガヴァッドギーターを主な教典としているように、各宗教ごとにいろいろな道(ヨーガ)が共存しています。
ほんとにヨーガってなんなんだ?
ヨーガの本質を探っていくには、いろいろな宗教を、曇りない感覚で見比べてみる必要がありそうです。
(次)ハタヨーガプラディーピカー概説 4.1-4.34 〜ヨーガが成った状態を表す、様々な表現〜
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参考文献
「サンスクリット原典 翻訳・講読 ハタヨーガ・プラディーピカー」菅原誠 (著)
「Asana Pranayama Mudra Bandha 英語版」Swami Satyananda Saraswati (著)