ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 1.23 イーシュヴァラ(宇宙意識)への献身
ईश्वरप्रणिधानाद्वा॥२३॥
īśvara-praṇidhānād-vā ॥23॥
(読み)イーシュヴァラ プラニダーナードヴァー
(訳)またはイーシュヴァラ(宇宙意識)への完全な献身によって、サマーディは成る。
[SS]: Or [samadhi is attained] by devotion with total dedication to God [Isvara].
[SS訳]: または神(イーシュヴァラ)への完全な献身によって、サマーディは成る。
[SV]: Or by devotion to Isvara.
[SV訳]: またはイーシュヴァラへの献身によって。
Sutra 1.24 宇宙意識とはどんな存在か
क्लेशकर्मविपाकाशयैरपरामृष्टः पुरुषविशेष ईश्वरः॥२४॥
kleśa karma vipāka-āśayaiḥ-aparāmr̥ṣṭaḥ puruṣa-viśeṣa īśvaraḥ ॥24॥
(読み)クレーシャ カルマ ヴィパーカーシャヤイヒ アパラームルシュタハ プルシャ ヴィシェーシャ イーシュヴァラハ
(訳)イーシュヴァラとは、苦悩・行為・行為の結果・欲望からも影響を受けない、至上の魂である。
[SS]: Isvara is the supreme Purusha, unaffected by any afflictions, actions, fruits of actions or by any inner impressions of desires.
[SS訳]: イーシュヴァラとは、全ての苦悩・行為・行為の結果・全ての欲望による内的印象からも影響を受けない、至上の魂である。
[SV]: Isvara (the Supreme Ruler) is a special Purusa, untouched by misery, the results of actions, or desires.
[SV訳]: イーシュヴァラ(至上の統御者)は、悲惨さ・行為による結果・欲望によって影響を受けない、特別な魂である。
Sutra 1.25 宇宙意識は、最初から全て知っている
तत्र निरतिशयं सर्वज्ञबीजम्॥२५॥
tatra niratiśayaṁ sarvajña-bījam ॥25॥
(読み)タトラ ニラティシャヤン サルヴァンニャ ビージャン
(訳)イーシュヴァラには、全知の種が備わっている。
[SS]: In Him is the complete manifestation of the seed of omniscience.
[SS訳]: 彼の中には、全知の種が完全に備わっている。
[SV]: In Him becomes infinite that all-knowing-ness which in others is (only) a germ.
[SV訳]: 彼の中には、その他の者にとっては幼芽でしかない、無限の全知が備わっている。
Sutra 1.26 宇宙意識は、時間に依存しない
पूर्वेषाम् अपि गुरुः कालेनानवच्छेदात्॥२६॥
sa pūrveṣām-api-guruḥ kālena-anavacchedāt ॥26॥
(読み)サ プールヴェーシャーマピグルフ カーレナーナヴァッチェーダー
(訳)イーシュヴァラは古代の師にとっても師であり、時間に依存しない。
[SS]: Unconditioned by time, He is the teacher of even the most ancient teachers.
[SS訳]: 時間に依存せず、彼は最も古代の師にとっても師である。
[SV]: He is the Teacher of even the ancient teachers, being not limited by time.
[SV訳]: 彼は古代の師にとっても師であり、時間によって制限されない。
解説・考察
いったいこの世界を創ったのは誰なのか?という話は、哲学でよく議論される話ですが、ヨーガスートラでは「イーシュヴァラ」という宇宙意識が創ったと定義しています。(シヴァ神の別名として「イーシュヴァラ」が用いられることもあり、異名も多々あるようです)
1.19節では神々ですら不完全であり輪廻すると言われていましたが、そういった神々も含めて全部創り出したのがイーシュヴァラという特別な意識・魂であるとしています。
そのため、「神」と呼ぶことすら本当は誤解を招く表現であり、イーシュヴァラは本来、どんな言葉を用いても形容できない存在です。「『それ』である」としか言えません。
イーシュヴァラ自体には始まりも終わりもなく、ずーっと存在していて、最初から全てを知っていて、いまヨーガを教えている先生たちの先生の先生のそのまた先生をたどっていくと、イーシュヴァラにたどりつくといわれます。
アシュタンガ(8支則)の中の第2段階ニヤマの5項目に含まれる「イーシュヴァラプラニダーナ」がここで先んじて示され、「イーシュヴァラ」がとても重要であることがうかがえます。アシュタンガの各項目については、第2章で示されることになります。
イーシュヴァラプラニダーナは具体的になにをすることなのか、ということは解釈が分かれますが、
全ては神が創ったものなので全てのものに神が宿っている→身の回りの人や物、全てを平等に・丁寧に扱うこと、と解釈したり、1.18節で述べられた「ものごとがそのようになる力」に身を委ねる、というように解釈することもできます。
いずれにしても、偏りなく、雑念を払っていくことができれば、悟り(三昧・サマーディ)に近づいていくということでしょう。
≫ヨーガスートラ解説 1.27-1.29
≪ヨーガスートラ解説 1.21-1.22