「動く瞑想」アシュタンガヨガ
アシュタンガヨガをお教えした際に、「他のヨガと違って動き続けるので、集中できて良い」という感想をよく聞きます。
ヨーガにおける「瞑想(ディヤーナ)」の定義は、「集中(ダーラナー)が、努力することなく途切れない状態」なので、アシュタンガヨガのようなヴィンヤサヨガで動き続けることは、雑念が入りにくく、瞑想に近い状態になりやすいかと思います。
参考:「集中」と「瞑想」の比較
一般的に「瞑想」というと、坐って精神統一しているイメージがあるかと思いますが、アシュタンガヨガのように「動く瞑想」もありますし、もっとシンプルに「歩く瞑想」もあったり、たとえばランニングや筋トレなども集中して行えば瞑想に近いものがあるかと思います。
では瞑想とは一体なんなのか、そして動く瞑想と坐る瞑想はどんな関係にあるのかについて、少し書いておきます。
瞑想に興味があって「坐る瞑想」を始めてみたけれど、なかなか難しかったという人にも、ヒントになれば幸いです。
集中と瞑想と、アシュタンガヨガ(8支則)
元々のアシュタンガヨガと現代のアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ
「アシュタンガヨガ」はそもそも、古典ヨーガの経典であるヨーガスートラでまとめられた以下の「8支則(アシュターンガ)」を実践するヨーガです。
1.ヤマ 社会的規範 または 禁戒
2.ニヤマ 個人的規範 または 勧戒
3.アーサナ 姿勢・坐法
4.プラーナーヤーマ 調気
5.プラティヤハーラ 感覚制御
6.ダーラナ 集中
7.ディヤーナ 瞑想
8.サマーディ 三昧
参考:アシュタンガヨガ関連の記事まとめ|アシュタンガヨガとは
8支則のゴールは、「三昧(サマーディ)」で、集中・瞑想していた「対象」と一体化するような境地です。
ヨーガスートラにはヨガポーズについてはほぼ書かれておらず、快適で安定した坐法ですわるべしとだけ示されています。もともとのアシュターンガ・ヨーガは、ポーズをたくさん行うのではなく、「非暴力」・「誠実」といった規範から始まり、生活全体で実践した末に悟り(サマーディ)にたどり着けるというものでした。
ただこの道は実践できる人がとても限られてしまうため、社会人として仕事をしながらでも実践できるようにつくられたのが、現代一般的に「アシュタンガヨガ」と呼ばれているアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガであると言われます。
アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガは、たくさんのポーズを流れるように行いながら8支則を実践するヨガということになります。まずは非暴力、自分にも周りの人にも、苦痛を生まないように行う必要があります。
瞑想の対象の選び方
一般的な瞑想のイメージは、「目を閉じて坐って集中する」といったものである場合が多いかと思いますが、何かの「対象」に集中しつづけていればそれもまた瞑想なので、その対象は、自分を高めてくれるものであれば何でも良いのです。それは体を動かすヨガでもいいし、ランニングや筋トレでもいいわけです。
坐る瞑想では、よく選ばれる対象としては「呼吸」があります。
参考:ヨーガスートラ解説 1.33-1.39 〜集中・瞑想する対象の選び方〜
あえて集中が難しい対象を選んで修行してもいいし、自然にあまり努力なく集中できる対象を選んでも良いのでしょう。
アシュタンガヨガや太陽礼拝などは、比較的努力なく集中できる対象となりやすいので、世界中でそれなりに人気があるのかと思います。
坐ってじっとしている瞑想がどうしても苦手な人は、アシュタンガヨガのように「動く瞑想」をやってみるのも良いかと思います。アシュタンガヨガを全部やるのはさすがにハードすぎると思う人は、冒頭に行われる太陽礼拝だけでも、十分な効果のあるヴィンヤサヨガであり、集中して行えば立派な「動く瞑想」になります。
瞑想の目的・メリット
瞑想を行うと、雑念・煩悩に惑わされたときも、すぐに「今やるべきこと」に戻ることができるようになっていきます。一般的にはこれを「集中力がある」と言うのでしょう。
ちなみに「リラックス」と「集中」は、相反するもののように思えますが、余計なことをしていないという意味では同じ状態です。つまり集中力がつくと、仕事(今やるべきではないこと)のことを中途半端に考えず、ちゃんとリラックスして心身を回復できるということにもつながります。
また、煩悩の無い状態であれば、思い込みやフィルターがなくなり、物事をありのままに観ることができることができるようになります。これは気づき(マインドフルネス)の磨かれた状態であり、仕事の上でも問題点と解決策にすぐ気づくことができるようになります。様々なメリットがあるため、大企業も瞑想やマインドフルネスに注目するようになりましたね。
私はこれらをまとめて、瞑想のメリットは「集中力」と「洞察力」が磨かれることであるとよく言っています。
「集中・瞑想」という観点での、ランニングとアシュタンガヨガの比較
集中・瞑想しやすいかどうかという観点で、ランニングなど他の運動とアシュタンガヨガを比べてみるとどうだろう?と考えたとき、アシュタンガヨガはポーズがたくさん出てくるので、変化に富み、適度に脳を使って切り替えながら動き続けているところが大きな違いかなと思いました。
ランニングも極めていけば、自分の心身の変化に対しても様々な気づきがあり、また周りの景色や路面の変化などにも脳を刺激される面があるかと思います。このあたりは人それぞれ気づきの度合いによって、集中・瞑想に近づけるかどうかはかなり異なるのかもしれません。
ランニングの動作は比較的「日常」に近く、アシュタンガヨガのポーズはほとんどが「非日常」です。その点、とっつきやすさや続けやすさも異なるでしょう。
ちなみにヨガのポーズを練習する意味としては、非日常的な姿勢(ポーズ)でも平静を保って深い呼吸ができるようにすることで、何か大きな出来事があったときにも心を乱されにくくなる、という面もあります。
参考:アーサナ(ヨガポーズ)を増やすことの意味、習得順について
とはいえアシュタンガヨガも、順番を覚えて慣れてきてしまうと、やり方が雑になってしまったり集中できなくなったりしてしまう人もいるかと思います。逆に、順番を覚えて慣れてくると、次に何が来るかわかっているから心を乱されにくくなって集中できる、という人もいるかと思います。
また、アシュタンガヨガのように動き続けるヨガが集中しやすいと感じるか、逆に集中しにくいと感じるかも、人それぞれです。陰ヨガやシヴァナンダヨガのようにキープ時間の長いヨガのほうが集中できるという人も多いです。
どれが優れているとかでもなく、気づきの度合いとやり方次第で、効果は大きく変わります。なので私もいろいろなヨガやピラティスも含めて教えていますし、ランナーやゴルファーの方により良い動きをするためのアドバイスをすることも多いです。
なるべく自然に集中できて、自分を高められるものを、見つけられれば良いかと思います。
坐る瞑想と動く瞑想の関係
坐る瞑想と動く瞑想は、相反するものでも全く別のものでもなく、つながっているものかと思います。
「瞑想」の実践の多くは「集中」の練習から始まり、「集中」は、今の自分にとって適切な対象を選んで練習すれば、うまくなっていきます。集中がうまくなる、というのは、雑念(煩悩)に惑わされてもすぐ対象に戻れるようになったり、対象への洞察力が磨かれるといったところが指標になります。
体を動かすヨガを集中して練習することで、煩悩に惑わされにくくなり、自分の心身への洞察力が磨かれ、坐る瞑想もうまくできる素質がいつのまにか身についているはずです。また、ヨガを練習することで股関節や背骨の柔軟性が高まれば、快適にあぐらができるようになって、坐るのがつらい〜という雑念も減っていくことになります。
そして、体を動かすヨガを深めていく上で、やはり自分にとって難しいと感じるポーズも出てきます。なぜポーズができないのかを突き詰めていくと、根深い心身の癖が関係していることも多いです。
その時、肉体だけではなく別の観点からも、自分を整えていく必要があると感じたら、坐って行う瞑想にも意識が向いてくるかもしれません。私の場合はそのあたりから、「微細身」について研究を始め、潜在意識とうまくつきあっていくには呼吸やイメージ(観想)が鍵となると感じ、坐る瞑想もたくさん行うようになっていきました。
望む変化を妨げている根深い癖には、「微細身」のほうにも原因があるため、それらの重なり合った体を全体的に観る必要があります。
体を動かすヨガを、しっかり気づきを磨きながら行うことは、そういった微細なものに気づくきっかけとして適していると思います。アシュタンガヨガに限らず体を動かす現代ヨガを実践しながら、少しずつ気づきが磨かれていくと、自然に自発的に坐って瞑想してみようと思えるようになるかもしれません。