ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 4.29
प्रसंख्यानेऽप्यकुसीदस्य सर्वथा विवेकख्यातेर्धर्ममेघः समाधिः॥२९॥
prasaṁkhyāne-‘py-akusīdasya sarvathā vivekakhyāteḥ dharma-meghas-samādhiḥ ॥29॥
(読み)プラサンクヤーネーピヤクシーダスヤ サルヴァター ヴィヴェーカクヤーテーヘ ダルマメーガハ サマーディヒ
(訳)完全な識別によって、その者は最上級の結果に対しても無関心となり、揺るがない識別知を持ち続ける。これをダルマメーガ・サマーディ(法雲三昧)と呼ぶ。(「ダルマ」は、美徳・正義・法・義務・道徳・信心・ご利益・天命、の意味を持つ)
[SS]: He who, due to his perfect discrimination, is totally disinterested even in the highest rewards remains in the constant discriminative discernment, which is called dharmamegha (cloud of dharma) samadhi. [Note: The meaning of dharma includes virtue, justice, law, duty, morality, religion, religious merit, and steadfast decree.]
[SS訳]: 完全な識別によって、その者は最上級の結果に対しても無関心となり、一貫した識別を持ち続ける。これをダルマメーガ・サマーディ(法雲三昧)と呼ぶ。(「ダルマ」は、美徳・正義・法・義務・道徳・信心・ご利益・天命、の意味を持つ)
[SV]: Even when arriving at the right discriminating knowledge of the senses, he who gives up the fruits, unto him comes as the result of perfect discrimination, the Samadhi called the cloud of virtue.
[SV訳]: 正しい識別知へとたどり着いたときでさえも、その完全な識別によって得られる結果に執着しない。このサマーディを「美徳の雲」と呼ぶ(美徳を雨のようにもたらす)。
Sutra 4.30
ततः क्लेशकर्मनिवृत्तिः॥३०॥
tataḥ kleśa-karma-nivr̥ttiḥ ॥30॥
(読み)タタハ クレーシャカルマニヴルッティヒ
(訳)このサマーディによって、全ての苦痛とカルマが終結する。
[SS]: From that samadhi all afflictions and karmas cease.
[SS訳]: このサマーディによって、全ての苦痛とカルマが終結する。
[SV]: From that comes cessation of pains and works.
[SV訳]: これによって、苦痛と行為が終息する。
解説・考察
4.29節では、最終的に至るサマーディである「ダルマメーガ・サマーディ(法雲三昧)」を挙げています。
全てのカルマの種子が焼き尽くされた状態であり、ゴールとして第1章で述べられた「ニルビージャ・サマーディ(無種子三昧)」と同じ状態を別の切り口で述べたものといわれます。
≫ヨーガスートラ解説 1.46-1.51 〜有種子三昧と無種子三昧〜
「ダルマ」という言葉は、インドの様々な宗教の中で用いられ、時代と共に解釈も変わり、英語や日本語で1語に訳すことが難しい語であるといわれます。
サッチダーナンダ氏は、たとえば下記のような意味を挙げています。
- 美徳
- 正義
- 法
- 義務
- 道徳
- 信心
- ご利益
- 天命
『ヨーガによってダルマが雨のようにもたらされるのです』と最後にまとめることは、ヨーガスートラが生まれた当時にも様々な宗教が存在していたということが感じ取れるように思えます。
≫ヨーガスートラ解説 4.31-4.34
≪ヨーガスートラ解説 4.25-4.29