ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 2.54 プラティヤーハーラ(制感・感覚抑止)とは
स्वविषयासंप्रयोगे चित्तस्य स्वरूपानुकार इवेन्द्रियाणां प्रत्याहारः॥५४॥
svaviṣaya-asaṁprayoge cittasya svarūpānukāra-iv-endriyāṇāṁ pratyāhāraḥ ॥54॥
(読み)スヴァヴィシャヤーサンプラヨーゲー チッタスヤ スヴァルーパーヌカーラ イヴエンドリヤーナーン プラティヤーハーラハ
(訳)感覚器官が外的な対象から離れ、心の本来の状態を映し出すとき、これがプラティヤーハーラ(制感・感覚抑止)である。
[SS]: When the senses withdraw themselves from the objects and imitate, as it were, the nature of the mind-stuff, this is pratyahara.
[SS訳]: 感覚が対象から離れ、いわば心の本来の状態を模倣するとき、これがプラティヤーハーラである。
[SV]: The drawing in of the organs is by their giving up their own objects and taking the form of the mind-stuff.
[SV訳]: 感覚器官を引き込むことは、それらが対象から離れ、心そのものの形をとることである。
Sutra 2.55 プラティヤーハーラの結果
ततः परमा वश्यतेन्द्रियाणाम्॥५५॥
tataḥ paramā-vaśyatā indriyāṇām ॥55॥
(読み)タタハ パラマーヴァシャター インドリヤーナーン
(訳)これによって、感覚器官の無上な統御が成る。
[SS]: Then follows supreme mastery over the senses.
[SS訳]: これによって感覚の無上な統御が成る。
[SV]: Thence arises supreme control of the organs.
[SV訳]: これによって感覚器官の無上な統御がおこる。
解説・考察
アシュターンガ(8支則)の5番目、プラティヤーハーラ。
プラティヤーハーラという語自体は、感覚抑止・感覚制御・制感などと訳されます。ニュアンスとしては、普通は外側に向いていて心を様々に波立たせていた感覚を、内側に引き込むというようなイメージのようです。
8支則はここまでの5つを「外的」なものであり、後半の6つは「内的」なものとして区別し、より内面に向かっていくための準備の最終段階としてこのプラティヤーハーラがあります。
普通の人は、「感覚」が起こってから「反応」が生まれるまで、非常に短い時間しかありません。
「嫌いなもの」を見たとき「嫌い」という反応が起こるまでの時間は、とっても短いですが、練習することでこの反応が起こらないようにすることができます。
たとえばヴィパッサナー瞑想の練習に用いられるラベリングなどが良い実践になります。
このように感覚器官が受け取った情報によって心が波立つことなく、本来の落ち着いた状態を保っていられるようにすることがプラティヤーハーラです。
現代ヨガにおけるアシュタンガヨガ(アシュタンーガ・ヴィンヤサ・ヨーガ)でプラティヤーハーラを行う具体的な実践としては、「ウジャイ呼吸」と「ドリシュティ」があります。
ウジャイ呼吸は、喉を通り抜ける呼吸音に集中することで、外側へ向いていた意識を内側に引き込むことができます。
ドリシュティは、目線の方向を示してはいますが、その方向に見えたモノに意識をもっていかれないようにする練習です。
たとえばマリーチアーサナCで隣の人が見えたとしても、「隣の人ができているからがんばらねば!」「隣の人はできてないけど私はできている!スゴい私!」などという雑念が生まれてしまってはならないということです。
プラティヤーハーラを深めるには、練習が必要です。
外からの刺激に心が波立たないようになったら、第3章で説明される集中・瞑想・三昧へと進んでいくことができます。
≫ヨーガスートラ解説 3.1-3.4
≪ヨーガスートラ解説 2.49-2.53