ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 3.9 ニローダ・パリナーマ(止滅転変)
व्युत्थाननिरोधसंस्कारयोरभिभवप्रादुर्भावौ निरोधक्षणचित्तान्वयो निरोधपरिणामः॥९॥
vyutthāna-nirodha-saṁskārayoḥ abhibhava-prādurbhāvau nirodhakṣaṇa cittānvayo nirodha-pariṇāmaḥ ॥9॥
(読み)ヴユッターナ ニローダ サンスカーラヨーホ アビバヴァ プラードゥルバーヴァウ ニローダクシャナ チッターンヴァヨー ニローダ パリナーマハ
(訳)湧き上がってくるサンスカーラ(物事がそのようになる力)は、それに代わる心の作用を生み出すことによる抑止的な努力によって消滅する。このような新たな心の流れが、ニローダ・パリナーマ(止滅転変)である。
[SS]: The impressions which normally arise are made to disappear by the appearance of suppressive efforts, which in turn create mental modifications. The moment of conjunction of mind and new modification is nirodha parinama.
[SS訳]: 湧き上がってくるサンスカーラ(印象)は、それに代わる心の作用を生み出すことによる抑止的な努力の出現によって消滅する。このような心の流れと新たに生まれた作用が、ニローダ・パリナーマである。
[SV]: By the suppression of the disturbed modifications of the mind, and by the rise of modifications of control, the mind is said to attain the controlling modifications —following the controlling powers of the mind.
[SV訳]: 乱れた心の作用の抑止と、心を制御する新たな作用を起こすことによって、心は新たな制御のための働き(心をコントロールする力に従って現れる)を得ると言われる。
Sutra 3.10 ニローダ・パリナーマ(止滅転変)はどのようにして成るか
तस्य प्रशान्तवाहिता संस्कारात्॥१०॥
tasya praśānta-vāhitā saṁskārat ॥10॥
(読み)タスヤ プラシャーンタ サンスカーラッ
(訳)ニローダ・パリナーマ(止滅転変)の流れは、習慣によって安定したものになる。
[SS]: The flow of nirodha parinama becomes steady through habit.
[SS訳]: ニローダ・パリナーマの流れは、習慣によって安定したものになる。
[SV]: Its flow becomes steady by habit.
[SV訳]: その流れは、習慣によって安定したものになる。
Sutra 3.11 サマーディ・パリナーマ(三昧転変・三昧への進展)
सर्वार्थतैकाग्रतयोः क्षयोदयौ चित्तस्य समाधिपरिणामः॥११॥
sarvārthatā ekāgrātayoḥ kṣayodayau cittasya samādhi-pariṇāmaḥ ॥11॥
(読み)サルヴァールタター エーカーグラータヨーホ クシャヨーダヤウ チッタスヤ サマーディパリナーマハ
(訳)心の散動が収まり、一点集中が成るとき、サマーディ・パリナーマ(三昧転変・三昧への進展)は訪れる。
[SS]: When there is decline in distractness and appearance of one-pointedness, then comes samadhi parinama (development in Samadhi)
[SS訳]: 心の散動が収まり、一点集中が成るとき、サマーディ・パリナーマ(三昧転変・三昧への進展)は訪れる。
[SV]: Taking in all sorts of objects and concentrating upon one object, these two powers being destroyed and manifested respectively, the Chitta gets the modification called Samadhi.
[SV訳]: 全ての対象を取り込むこと、そして一つの対象に集中すること、これらの2つの力は破壊され、それに続いて(一点集中が)顕現し、チッタ(心の作用)はサマーディ(三昧)と呼ばれる状態を得る。
Sutra 3.12 エーカーグラタ・パリナーマ(専念転変・一点集中)
ततः पुनः शान्तोदितौ तुल्यप्रत्ययौ चित्तस्यैकाग्रतापरिणामः॥१२॥
tataḥ punaḥ śātoditau tulya-pratyayau cittasya-ikāgratā-pariṇāmaḥ ॥12॥
(読み)タタハ プナハ シャトーディタウ トゥリャプラティヤヤウ チッタスヤイカーグラター パリナーマハ
(訳)そしてまた、次第に消え去る過去の想念と今湧き上がる想念が同一なとき、エーカーグラタ・パリナーマ(専念転変・一点集中)が在る。
[SS]: Then again, when subsiding past and rising present images are identical, there is ekagrata parinam (one pointedness).
[SS訳]: そしてまた、次第に消え去る過去の想念と今湧き上がる想念が同一なとき、エーカーグラタ・パリナーマ(一点集中)が在る。
[SV]: The one-pointedness of the Chitta is when it grasps in one, the past and present.
[SV訳]: チッタ(心)の一点集中は、それが過去と現在を一つのものとして捉えるときに起こる。
Sutra 3.13 3つの転変
एतेन भूतेन्द्रियेषु धर्मलक्षणावस्थापरिणामा व्याख्याताः॥१३॥
etena bhūtendriyeṣu dharma-lakṣaṇa-avasthā pariṇāmā vyākhyātāḥ ॥13॥
(読み)エーテーナ ブーテーンドリエーシュ ダルマ ラクシャナーヴァスターパリナーマー ヴヤークャーターハ
(訳)これによって、微細または粗大な対象および感覚器官における、形・時間・状態の3つの転変が説明される。
[SS]: By this [what has been said in the preceding Sutras], the transformation of the visible characteristics, time factors and conditions of elements and senses are also described.
[SS訳]: これ(ここまでのスートラで述べられたこと)によって、元素と感官における、可視的特徴・時間的要因・状態の転変は説明される。
[SV]: By this is explained the threefold transformations of form, time and state, in fine or gross matter, and in the organs.
[SV訳]: これによって、微細または粗大な対象および感覚器官における、形・時間・状態の3つの転変が説明される。
Sutra 3.14 3つの状態
शान्तोदिताव्यपदेश्यधर्मानुपाती धर्मी॥१४॥
śān-odita-avyapadeśya-dharmānupātī dharmī ॥14॥
(読み)シャーンオディターヴヤパデスヤ ダルマーヌパーティ ダルミー
(訳)潜在・生起・非顕現の状態を経ていくのは原質(プラクリティ・自然界の構成物)である。
[SS]: It is the substratum (Prakriti) that by nature goes through latent, uprising and unmanifest phases.
[SS訳]: 自然に潜在・生起・非顕現の状態を経ていくのは原質(プラクリティ)である。
[SV]: That which is acted upon by transformations, either past, present or yet to be manifested, is the qualified.
[SV訳]: 特質(プラクリティ)は、過去・現在・非顕現の状態であるかに関わらず、転変の中で変化していく。
Sutra 3.15 転変の原因
क्रमान्यत्वं परिणामान्यत्वे हेतुः॥१५॥
kramānyatvaṁ pariṇāmānyateve hetuḥ ॥15॥
(読み)クラマーニヤトヴァン パリナーマーンヤテーヴェー ヘートゥフ
(訳)これらの変化の連続が、様々な転変の原因である。
[SS]: The succession of these different phases is the cause of the difference in stages of evolution.
[SS訳]: これらの異なる状態間の転変が、進化の各段階における変化が起こる原因である。
[SV]: The succession of changes is the cause of manifold evolution.
[SV訳]: この変化の連続が、様々な進化の原因となる。
Sutra 3.16 時を超えた知
परिणामत्रयसंयमादतीतानागतज्ञानम्॥१६॥
pariṇāmatraya-saṁyamāt-atītānāgata jñānam ॥16॥
(読み)パリナーマトラヤ サンヤマーッ アティーターナーガタ ンニャーナン
(訳)転変の3段階にサンヤマ(綜制)を行うことによって、過去と未来の知が得られる。
[SS]: By practicing samyama on the three stages of evolution comes knowledge of past and future.
[SS訳]: 進化のその3段階にサンヤマを行うことによって、過去と未来の知が得られる。
[SV]: By making Samyama on the three sorts of changes comes the knowledge of past and future.
[SV訳]: 3つの変化に対してサンヤマを行うことによって、過去と未来の知が得られる。
解説・考察
第3章でここまで述べられた、「サンヤマ(綜制)」という強力なツールを使うことによって、ここからのスートラ以降で様々な対象に向かってサンヤマを行った結果得られるものが説明されていきます。
サンヤマとは何かを振り返っておくと、アシュターンガ(8支則)の後半3つ
- ダーラナー(集中)
- ディヤーナ(瞑想)
- サマーディ(三昧)
をひとつの対象に向かって行うことです。
これによって、対象の本質が手に取るように分かるようになるといわれます。
サンヤマの対象となるものは、目に見えるものなど(粗大な対象)に限らず、3.9〜3.16節では、その対象として「変化(転変)」が選ばれています。
ここでは、転変(パリナーマ)にサンヤマを行うことによって、3種類の転変を経て、その本質が分かってくると示されます。
- ニローダ・パリナーマ(止滅転変)
- サマーディ・パリナーマ(三昧転変)
- エーカーグラタ・パリナーマ(専念転変)
これら3つの流れをみると、ニローダ→サマーディはこれまで述べられてきたヨーガの流れのように思えますが、エーカーグラタはさらに「時間」という概念を述べています。
サマーディの状態に至ったとしても、「維持したい・失いたくない」「再び得たい」といった雑念があってはまだ不完全であり、通り過ぎていく想念と湧き上がってくる想念が等しくなり、時間に関わらずどの瞬間も常に均一な状態であることを目指すということかと思います。
とはいえ「真我(魂)」は変化しないはず(変化するようにみえるのは、それを映し出す鏡である心が変化しているから)なので、実際に変化していくのは、心や体を含めた周りの世界(プラクリティ)です。
プラクリティは、以下3つの状態を経て変化します。
- 潜在(現れているが、感覚器官でキャッチできない状態)
- 生起(現れていて、感覚器官でキャッチできる状態)
- 非顕現(まだ現れていない状態)
これらの変化によって、様々な転変が起こることになります。
転変に対して集中し、絶え間ない認識を続けていくと、なにが分かるか?
物事の「変化」というものは、ある瞬間だけを観察しても分かりませんね。
変化に気づくためには、絶え間なく観察している必要があります。これはマインドフルネス瞑想などでも用いられる考え方です。
転変に対してサンヤマをすることで、最終的にはその対象が過去どんな状態であったか・このあとの未来にどうなるかといったことも分かるようになると、3.16節では述べられています。
たしかにデータを分析することで、ある程度未来を予測できるようになったりしますが、本当に未来がわかるようになるとしたら、超能力ですね…第3章では、サンヤマによってこういった様々な超能力(シッディ・霊能)が得られるということが書き連ねられていきます。
ここまで結構いいことを書いていたのに、ヨーガスートラが一気にあやしい本に思えてた方は…これ以降のスートラはひとまずざっと読み飛ばしても良いと思います。
超能力がたくさん書かれている理由は、第3章の最終盤のスートラ3.51節に書かれています。
≫ヨーガスートラ解説 3.17
≪ヨーガスートラ解説 3.5-3.8