「クンダリニー・タントラ/スワミ・サティヤナンダ・サラスワティ著」を読み進めていく形で、クンダリーニヨガ(クンダリニーヨーガ)の概要を紹介していく連載記事です。
「Kundalini Tantra 英語版 ペーパーバック」 Swami Satyananda Saraswati (著)
「Kundalini Tantra 英語版 Kindle」 Swami Satyananda Saraswati (著)
今回は、第2章の9節、チャクラと同様に重要なセンターとして扱われる後頭部のビンドゥ・ヴィサルガの位置や特徴に関する部分です。
ビンドゥ・ヴィサルガの覚醒の行法については、後に示されます。
参考:「クンダリニー・タントラ」を読む【47】第3章 10節:ビンドゥ・ヴィサルガの覚醒方法
以下、引用部分の太字強調は私が個人的に重要と思ったところを示したものです。
この記事の目次
ビンドゥ・ヴィサルガの概要・位置
第1章でも簡単に説明されていましたが、サティヤナンダ氏のクンダリニーヨーガでは、チャクラとは別にビンドゥ・ヴィサルガというセンターを用います。
ビンドゥ・ヴィサルガは後頭部の一番上あたりに位置し、生命活動の源となるネクター(霊薬)が湧く場所、あるいは頭頂のサハスラーラにある宇宙意識から個別意識(エゴ)が生まれる場所、などとして扱われます。
参考:「クンダリニー・タントラ」を読む【9】第1章 3節-2:チャクラとは
Bindu, the source of creation, is beyond the realm of all conventional experience and therefore, even in the tantric texts, there is very little written about it. It is the storehouse of all the karmas of man from his previous life. Not only are these karmas in the form of vasanas, they are also in the form of memories.
ビンドゥは創造の源であり、通常の経験の領域を超越しているものなので、タントラの文献に書かれていることも非常に少ないようです。
ここは過去生のカルマの貯蔵庫でもあり、そのカルマはヴァーサナー(潜在的な印象)の形になっているものも記憶の形になっているものもあるといいます。
The word bindu means ‘drop or point’. It is more correctly termed bindu visarga, which literally means ‘falling of the drop’. Bindu is represented by the crescent moon and a white drop, which is the nectar dripping down to vishuddhi chakra. It is the ultimate source out of which all things manifest and into which all things return.
「ビンドゥ」は、「点」あるいは「滴」を意味する言葉です。より正確に記述すると「ビンドゥ・ヴィサルガ」と書き、これは「滴が落ちる」ことを表すといいます。
ビンドゥは「三日月と白い滴」のイメージで描かれ、これはネクターがヴィシュッディチャクラへ落ちていくのを表します。ビンドゥはすべての存在の源であり、そしてまた戻っていく場所であるといいます。
Bindu visarga is interconnected with vishuddhi chakra in the same way that the minor centers of the digestive system are connected with manipura, and those of the uro-genital and reproductive systems with swadhisthana and mooladhara chakras.
ビンドゥ・ヴィサルガはヴィシュッディチャクラとつながっており、そのつながりかたは、マニプーラチャクラとその周辺の小さな複数のセンターがつながって消化器系を機能させていたり、アナーハタチャクラと周辺の小さいセンターが呼吸器系・循環器系を機能させていたり、スワディシュターナチャクラとムーラーダーラチャクラがつながって泌尿器系や生殖器系を機能させているのと同様であると説明されています。
そのように、体中の各神経ネットワークは、その近くにあるチャクラによって管理されているといいます。
ビンドゥ・ヴィサルガとヴィシュッディチャクラは、鼻孔を通じて軟口蓋の上にあるララナチャクラを介してつながっており、ヴィシュッディチャクラが覚醒するとき、ララナとビンドゥ・ヴィサルガも同時に覚醒するといわれます。
The ten paired cranial nerves which emerge along the brain stem from their associated centers or nuclei, are considered to actually have their initial origins within this tiny center, so that the whole visual, nasal, auditory and tasting systems are ultimately manifestations from bindu.
関連するセンターから脳幹に沿って発する10対の脳神経は、実際はビンドゥを起源としていると考えられ、つまりは視覚・嗅覚・聴覚・味覚は結局のところビンドゥからの現れであると説明されています。
The seat of bindu is at the top back of the head, exactly at the spot where the Hindu brahmins leave a tuft of hair growing. Although this custom is still being followed today, its original purpose has been completely forgotten. In Sanskrit that tuft of hair is called shikha, which means ‘the flame of fire’. Here, the word ‘flame’ stands for the flame of vasanas or the hidden karmas belonging to the previous life.
ビンドゥの位置は、後頭部の一番上にあり、そこはちょうどヒンドゥー教のブラフミン(バラモン)が髪の束を残している部分であるといいます(他の部分は剃っていて坊主です)。ただ、なぜそのようにしているかという目的は完全に忘れ去られているようです。
サンスクリット語で髪の束を表す言葉は「炎」と同じ意味であり、ビンドゥに蓄積されている過去生からのヴァーサナーを焼き尽くす意味があるのではないか、説明されています。
According to tantric tradition, within the higher centers of the upper cortex of the brain there is a small depression or pit which contains a minute secretion. In the center of that tiny secretion is a small elevation or point like an island in the middle of a lake. In the psychophysiological framework, this tiny point is considered to be bindu visarga.
タントラの伝統によれば、脳の上部皮質の中に僅かな分泌物を含む小さなくぼみがあり、その中央に、湖の中の島のように小さな隆起または点が存在するとされ、精神生理学的にはそれがビンドゥ・ヴィサルガに対応すると考えられています。
実際のところ、そういった脳内の微小な解剖学的構造は、医学的にはまだ十分研究されていないようですが、たとえば松果体とアージュニャーチャクラの関係について、タントラの教典が語っていた内容が科学的に実証され始めてきたように、ビンドゥ・ヴィサルガと脳内の物質的構造との関係についても、検討される価値のあることであろう、と述べられています。
ビンドゥ・ヴィサルガを表す伝統的なシンボル
(画像出典:Wikipedia)
In the tantric scriptures, the symbol of bindu is a crescent moon on a moonlit night. This symbol is very rich in meaning.
タントラの教典によれば、ビンドゥのシンボルは月夜に光る三日月(正確に月齢3日という意味ではなく、細いクレセントムーン)で表され、これはとても多くの意味を含んでいるといいます。
三日月が意味するところとしては、月の満ち欠けにも連動して起こる内分泌や感情や心の変化を表しているといいます。
また三日月は、真夜中の丘の淡く儚い景色を映し出し、夜空の背景はビンドゥを超えた無限のサハスラーラも象徴しているといいます。
月が満ちていくように、日々熱心にヨーガの実践を重ねることによって、少しずつサハスラーラに秘められた巨大なものが明かされていくことになりますが、それでもエゴが残っているうちはサハスラーラの全てを経験することはできない、と説明されています。
The symbol of Оm also contains the representation of bindu in its uppermost part, which is a small point above a crescent moon. Actually, all the chakras are symbolized within the body of the Om symbol, as are the three gunas or qualities of the created world: tamas, rajas and sattva.
Omを表す、三日月の上にある小さな点は、ビンドゥの最も上位の部分を象徴しているといいます。実際のところ全てのチャクラはプラクリティによってつくられる領域のものであるけれども、ビンドゥはこの身体とは離れたところにあり自然の束縛からは超越したものであるということを、このシンボルが表していると説明されています。
ちなみにこの三日月の上に点がつく表現は、サンスクリット語の表記に使われるデーヴァナーガリー文字のチャンドラ・ビンドゥ(チャンドラは月)としても用いられます。サンスクリット語に用いられる文字はデーヴァナーガリーだけではなく、日本に伝わった梵字(悉曇文字)もそのひとつであり、悉曇文字にも同様の表現がより強調されて見られます。
また、ビンドゥ・ヴィサルガは最高次の第7次元であるサティヤ・ローカ(真理の次元)に属し、コーザル体(原因身)、アーナンダマヤ・コーシャに属するといいます。
用語:ローカ loka
用語:コーシャ koṣa
ビンドゥ・ヴィサルガが覚醒するとき、宇宙的な音であるOmが聞こえ、ビンドゥとOmのシンボルの上にある三日月から生じる全ての創造の源に気づくといいます。
ネクター(霊薬)と毒の座
In many of the tantric texts it is written that bindu, the moon, produces a very intoxicating secretion. Yogis can live on this ambrosial fluid. If its secretion is awakened and controlled in the body, then one needs nothing more for survival. The maintenance of the body’s vitality becomes independent of food.
ここまでマニプーラチャクラの項などでもたびたび語られてきましたが、ビンドゥ・ヴィサルガは生命活動を支える「ネクター(霊薬)」が生じるところであるとされています。
ネクターの分泌をコントロールできるようになると、生きていくために必要なものは他に何もなく、食べ物への執着からも解き放たれると説明されています。
There have been many reports of people who have entered into states of hibernation or suspended animation underneath the earth.
地中に埋められ冬眠状態になって生き長らえたヨーギーの実験は数多く報告され、厳密な科学的な条件下で実証されているといいます。
Initially pranayama is practised assiduously, until kumbhaka (retention of the breath) has been perfected. At this stage, khechari mudra is performed. This is not the simple form of khechari as performed in kundalini yoga sadhana, but the practice of hatha yoga in which the root or frenulum of the under surface of the tongue is gradually cut and the tongue is slowly elongated and inserted into the nasopharynx. It blocks off the passage as a cork seals a bottle. The whole practice is perfected over a two year period.
そのやり方が以下のように説明されています。まずは熱心にプラーナーヤーマを実践し、クンバカ(止息)を完璧にできるようにしていきます。この段階で、ケーチャリームドラーも行われます。ここで行われるケーチャリームドラーはクンダリニーヨーガで行われるシンプルなものではなく、ハタヨーガで古来から行われてきたように、舌の下の筋を少しずつ切って舌を長くしていき喉まで到達するようにしていく形で行われるもので、これを完璧にするには2年はかかると説明されています。
参考:ハタヨーガプラディーピカー概説 3.32-3.54 〜ケーチャリームドラーのやり方と重要性〜
このケーチャリームドラーによって、喉を通って鼻腔の方へ舌を伸ばし、ビンドゥから落ちてくるネクターを受け止めることで、生命活動が維持されるという原理のようです。
これによって、細胞や組織の代謝を止めることができ(ひげなども伸びない)、酸素は必要なく、老廃物も生まれず、息をすることなく冬眠状態で長期間生き続けることができるといいます。
Also, besides producing nectar, bindu is responsible for the production of poison. The poison glands and the nectar glands are almost simultaneously situated.
先のヴィシュッディチャクラの項で述べられたように、ビンドゥ・ヴィサルガは毒を生み出す場所でもあり、ネクターと毒を生み出す腺はほぼ同時に機能しているといいます。
しかしヴィシュッディチャクラは浄化のチャクラであり、落ちてきた毒を無効化するため、ビンドゥ・ヴィサルガとヴィシュッディチャクラが同時に機能していれば、なんの危険性もないと説明されています。
ハタヨーガで身体を浄化し、瞑想やラージャヨーガの実践をすることによって、毒の腺はネクターの生成のために働くようになるといいます。
個別意識(エゴ)を創造し、進化を司る場所
Bindu is considered to be the origin of creation or the point where oneness first divides itself to produce the world of multiple individual forms. This aspect of bindu can be traced to the Sanskrit root bind, which means ‘to split or divide’.
これまでも何度か述べられてきましたが、ビンドゥは創造の源であり、全てが一つである状態からたくさんの部分に分割され、「個人」の意識が生まれる場所であるといわれます。ビンドゥの語根「bind ビンド」は「分ける」といった意味があります。
ビンドゥは次元の無い「点」を意味するセンターであり、無限の意識への入り口であり、また「空」への門であるとも捉えられます。この場合の「空」は「無」ではなく、純粋・絶対・区別のないひとつの意識、といった意味を持ちます。
このようにビンドゥは各チャクラとは異なり、言語で説明することの難しいミステリアスなセンターであり、ゼロと無限、満と空といった二元的に分かれているものが共存している点であると説明されています。
こういった話は、私たちの意識・魂といったものは、どうやってつくられたのだろうか?ということを思索していくと、理解できるようになっていくかと思います。ただ、このような難しい一見哲学的な話を理解せずとも、後に紹介されるクンダリニーヨーガの行法は一貫して「身体」をベースにした行法になります。それを実践していくことで、思考のブロックも浄化されていき、望まざるとも自然に、哲学的な話も理解できるような心身の状態になっていくことでしょう。
Within bindu is contained the evolutionary potential for all the myriad objects of the universe. It contains the blueprint for creation. Evolution here refers to the vertical, transcendental process by which life, objects and organisms arise from the underlying substratum of existence. The evolution is not at all the same as the scientific concept of Darwinian evolution.
ビンドゥは進化のポテンシャルを秘めており、そこには創造の設計図がある、というようにも捉えられます。
ここで言う「進化」は、ダーウィンの進化論で扱われているような時間を伴った植物や動物の「種の進化」とは異なり、意識の個人への進化と消滅の過程は、時を超越した領域にあるといいます。
There is an individuating principle that generates the myriads of objects in the universe. In Sanskrit it is called kala, that which causes the potential inherent in the underlying consciousness to accumulate at bindu.
世界には、無数の個体を創造する根本的な個性化の原理があり、それをサンスクリット語では「カーラ」と呼び、その創造活動は根本にある宇宙意識によって行われ、そのためのエネルギーはビンドゥに蓄えられているといいます。「カーラ」は「時」を意味する言葉でもあります。
このビンドゥは「種子」の点であり、動物や人間やあらゆるものがここから顕現し、全ての物はビンドゥを根本に持つといいます。ビンドゥは意識の表れでもあり、「制限」を意味するものでもあると説明されています。
たびたび出てくる「ヒラニヤガルバ(創造の子宮)」においては全てのものは形を持たない状態ですが、この世界に生まれるときには形を与えられて現れます。形のなきものが形を与えられるということは、輪郭を持ち「制限」された領域に存在するようになる、というように捉えておくと良いかと思います。
Some of the centers of manifestation from bindu possess consciousness, such as man. However, most centers are unconscious, such as the elements, stones, and so on. The potential to be conscious or unconscious depends only on the nature and structure of the individual object, and this is also determined by the bindu. Man has the apparatus that allows him to be a conscious center
ビンドゥからいろいろなものがつくられますが、人のように意識を持つものもあれば、意志や元素のように無意識のものもあり、その可能性は「nature」と「個別の物体の構造」によって決まり、それはビンドゥによって決定されるといいます。人間は意識を持つためにふさわしい構造・器官を持っているということのようです。ここでいうnatureは「自然」を意味しているようでもありますし、仏教でもよく使われる「自性」の意味も含んでいるのかもしれません。
Every object, conscious or unconscious, is linked to the underlying essence of consciousness through the intermediary of the bindu. Every object evolves into material existence through the medium of the bindu and every object is withdrawn back to the source via the bindu as well. Bindu is a trapdoor opening in both directions. It is the means through which conscious centers such as man can realize the totality of sahasrara.
全ての物は、意識を持っているか無意識かに関わらず、ビンドゥを介して、元にある形のない世界の要素とつながっていて、ビンドゥを介して創造され、またビンドゥを介して元の源へ戻っていくといいます。
ビンドゥはそのような双方向のドアとして機能し、それはつまり、人はビンドゥを介してサハスラーラへ至り、根本の宇宙意識に気づくことができることを意味していると説明されています。
There are essentially only two types of human beings – those who are on the pravritti path and those who are on the nivritti path.
人間の生きる道は、「プラヴリッティ(外向き)」と「ニヴリッティ(逆向き)」の2通りがあり、ほとんどの人は外向きに生き、ごく一部の人は逆向きの霊的な道・智慧の道を選びます。
「逆向き」というのが、先ほど述べられたようにビンドゥを介してサハスラーラへ、つまり全ての存在の源へ至る道であり、この道は自由を導くといいます。
一般的な進化の過程はプラヴリッティであり、外向きに表現・顕現する道です。内向きの道は、存在の源へ至る道であり、それはつまりビンドゥからサハスラーラへ至る道です。
In fact, the whole purpose of yoga practice is to help direct your awareness along the involutionary path.
実際のところ、全てのヨーガの実践は、その人の気づきを内向きの道へ向けるのを助けるものである、と説明されています。
ビンドゥ・ヴィサルガと科学
There is tremendous power ensheathed within the infinitesimal point. For example, one theory about the origin of the universe suggests that an infinitely dense point of matter exploded in a ‘big bang’ to form the entire cosmos.
ビンドゥという微小な点には膨大な力が納められており、様々な物理学な理論もこの点の研究へ向かって進んでいると述べられています。
たとえばビッグバン理論は、一つの凝縮された点から全ての宇宙がつくられたという、ビンドゥを想起させる原理を元にしています。
分子生物学の領域では、ビンドゥの要素はDNA・RNAの分子の中に見られ、全ての有機体の設計図が遺伝子の中に納められています。
「現代の科学でようやく解明されてきた自然の原理が、古い文献ではすでに解明されていた」といった話はよく出てきますが、科学者の中にも本当のことに気づき始めている人々はいるでしょうけれども、このあたりはこじつけることなく慎重に解釈していく必要があるかと思います。
ビンドゥと精子・卵子
The bindu is the cosmic seed from which all things manifest and grow. It is often related to male sperm because from the tiny bindu of a single spermatozoon, joined with the minute female ovum, a new life grows. The act of conception is a perfect symbol of the principle of the bindu. In fact, bindu is explained in these terms in many of the texts of tantric kundalini yoga. In the Yogachudamani Upanishad it says:
“The bindu is of two types, white and red. The white is shukla (sperm) and the red is maharaj (menses).”
(verse 60)
ビンドゥは精子と卵子にも関連付けられることが多く、微小なものから新たな生命が形作られる様子がビンドゥの原理に即していると説明されます。古典のヨーガチューダマニ・ウパニシャッドがここで引用され、白いビンドゥが精子、赤いビンドゥが月経であるというように述べられているといいます。
Here the white bindu symbolizes Shiva, purusha or consciousness, and the red bindu symbolizes Shakti, prakriti or the power of manifestation. The white bindu lies in the bindu visarga and the red bindu is seated in mooladhara chakra. The purpose of tantra and yoga is to unite these two principles so that Shiva and Shakti become one. The text continues:
“The red bindu is established in the sun; the white bindu in the moon. Their union is difficult.”
(verse 61)
白いビンドゥはシヴァ(プルシャ・真の自己の意識)を、赤いビンドゥはシャクティ(プラクリティ・世界を顕現させる力)を表し、白いビンドゥは後頭部のビンドゥ・ヴィサルガに、赤いビンドゥはムーラーダーラチャクラに座しているといいます。タントラやヨーガはこの2つの融合を目指すものであると説明されています。
ヨーガチューダマニ・ウパニシャッドでは、赤いビンドゥは太陽、白いビンドゥは月を表し、それらの融合は難しいと述べています。
The sun represents pingala nadi and the moon represents ida. The two bindus symbolize the merging of the world of opposites, in terms of male and female. Out of their union results the ascent of kundalini.
太陽はピンガラーナディ、月はイダーナディを象徴し、赤白2つのビンドゥの融合は、男女や陰陽などこの世の二元的なものの融合を意味しているといいます。
All the systems of yoga control the prana in one way or another to bring about this union. In some cases it is through direct control, as in pranayama, while in other cases it is less direct. Nevertheless, the meeting of these two polarities, Shiva and Shakti, leads to superconsciousness.
この融合は、プラーナーヤーマを用いたプラーナのコントロール(方向づけ)によって成され、意識的な方向づけによって、超意識的なシヴァとシャクティの融合を導くことができるといいます。
ここまで、神話や科学との関連付けによってビンドゥ・ヴィサルガの神秘性・秘められた力が説明されてきましたが、なかなか理解が難しい領域に入ってきているかもしれません。サティヤナンダ氏自身も、「ineffable(筆舌に尽くしがたい)」「mysteritous」といった単語をよく用いて説明しています。
とはいえ、ビンドゥ・ヴィサルガの覚醒のための行法自体は、プラーナーヤーマのように身体を用いたものなので、余計なことを考えず身体を使って実践していくことで、真理の理解につながっていくものと思います。
次記事:「クンダリニー・タントラ」を読む【37】第2章 10節:サハスラーラ
前記事:「クンダリニー・タントラ」を読む【35】第2章 8節:ヴィシュッディチャクラ
参考文献
「Kundalini Tantra 英語版 ペーパーバック」 Swami Satyananda Saraswati (著)
「Kundalini Tantra 英語版 Kindle」 Swami Satyananda Saraswati (著)
「クンダリニー」ゴーピ・クリシュナ (著), 中島巌 (翻訳)
「Asana Pranayama Mudra Bandha 英語版」Swami Satyananda Saraswati (著)
「チャクラ」C.W.リードビーター (著), 本山 博 (著), 湯浅 泰雄 (著)